船生かぶき村 かわら版 令和5年4月1日

【★かぶき村に話題有り…。】

 昭和六十二年四月。新潟ラドンセンターで知り合った『昆金 正』君の初舞台は、富山県・魚津市の『金太郎温泉』でしたので、その風貌と組み合わせ『三咲金太郎』と名付けました。

『老いぼれ劇団』と笑われていた『劇団暁』も、人身を一新した『新生劇団暁』は、私と『ふぶき梨花』『金太郎君』の、三人での『弱小劇団』となりました。

その年の十一月。我が『劇団暁』は、千葉県勝浦市の『勝浦パーク』での公演でした。この『勝浦パーク』で、あの『楽屋ぐらし』『てつや太鼓』『役者冥利』『雪舞い峠』が、ビクターレコードから発売されることになりました。思えば『旗揚げ』時に出来ていた曲が、四年後、やっと日の目を見る事になったのであります。この『勝浦パーク』で面白いエピソードがある。私と、ふぶき梨花と、金太郎君の三人で、第一部『舞踊劇』で一時間。

第二部。『歌謡ショー』で一時間。やったものです。中でも、第一部の『舞踊劇』が大変でした。

私は、『浪人』『火消しの纏い持ち』『御隠居さん』『流しの哲っちゃん』。ふぶき梨花は『唄好きの、屋台の娘』金太郎君が体格を生かして『相撲取り』唄自慢の『町娘』また、リュックを背負って、おにぎりを喰らう『山下清』。等と、舞台を駆けずり回り、てんやわんやの大騒ぎ。その度に、衣装を着替えるので、舞台の上手・下手は脱いだ衣装の山になりました。たった三人の弱小劇団でしたが、必死に頑張っていた頃の、今尚、忘れられない、思い出の一ページでした…。

【★てつやの五行ポエム…。】

私と『ふぶき梨花』。『金太郎君』の三人だけ…、

『乗り込み』と『打ち上げ』…、

衣装・かつら・機材を運ぶのも三人…、

思い出しても、辛かったとは思わない…、

この辛さが、明日の幸せへの道だから…。

【★劇団暁の巡業はつづく…。】

 昭和六十三年三月。『劇団暁』は、浜松市の『バーデンバーデン』での公演であった。

公演が終わり、夜になると、私達は、出来上がった。『役者冥利』『雪舞い峠』『楽屋ぐらし』『てつや太鼓』のキャンペーンに歩きました。私は『着流し』。

ふぶき梨花は『花魁道中』の姿で、金太郎君は、カバン持ちです。三人で、屋台が並ぶ居酒屋を歩きました。私は、屋台の女将さんに、「この姿でキャンペーンしますから、二千円セットで御客様を集めて下さい…」と、お願い致しました。さて、屋台の暖簾をくぐると客席は満席です。

それも そうでしょう。高いぽっくりを 履いて、天井に届かんばかりの、八の字歩きで入店するのですから。やんや やんやの、大騒ぎです。

持って行ったテープは、すぐに売り切れ、稼ぎの一割をやると、連れて行った金太郎君でも一万円くらいはあったと思います。

【★劇団暁の巡業はつづく②…。】

 昭和六十二年四月、『新潟ラドン』で知り合って、その年の十一月。千葉県勝浦市の『勝浦パーク』でてんやわんやの、早変わりで頑張って、浜松市の『バーデンバーデン』でも頑張った金太郎君。

平成元年八月。福岡の『香椎健康ランド』で、大手柄を立ててくれました。それが、なんと、あの、夏樹座長と春樹座長をスカウトしてくれたのです。今を時めく夏樹君が小学三年で九歳。

春樹君が、小学一年の六歳だった頃です。ですから、金太郎君は、夏樹君・春樹君と、『劇団暁』の縁を結んだ、愛のキューピットなのです。

その金太郎君は、金太郎君の、お父さんと三年経ったら、実家に帰して下さいという条件でしたから、残念ですが、今では座員ではありません…。

【★てつやの五行ポエム②…。】

三年間の約束で…、

ほんとに短い、弟子・師匠…、

忘れられない、金太郎君…、

こんなに短い、足跡でも…、

その功績は、永遠です…。

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