船生かぶき村 かわら版 令和5年3月15日

【★かぶき村に話題有り…。】

『船生かぶき村を愛した故人列伝』

「茂呂千代吉氏」編。

 茂呂のお父さんと『劇団暁』の皆んなが慕っていた『茂呂千代吉』氏も、船生かぶき村の創生期を、支えて下さった一人です。お父さんは、旧喜連川町の人で、相棒の相田さんと一緒に知り合いました。

お二人は共に、喜連川の『鹿子畑』という部落に住んでいて、その部落の祭礼には、毎年、我が劇団の

芝居と舞踊を招いてくれました。ある時、夏ちゃんのファンだった茂呂のお父さんが、夏樹にスーツを作ってくれることになり、相田のお父さんが、「じやぁ、俺が春ちゃんに、スーツを、作ってやろうという事で、夏樹・春樹の兄弟は、生まれて初めて、スーツを身に纏ったのです。

しかし、百まで生きると豪語していた茂呂のお父さんは、すでに、この世の人ではありません…。    

『船生かぶき村を愛した故人列伝』

『横井秀次氏』編。

 横井秀次。この人との出会いは、『船生かぶき村』創立以前に遡(さかのぼり)ます。あれは、夏ちゃん

春ちゃんが入団して四ケ月目。夏樹が、小学三年生。春樹が、小学一年生の時。富山県・魚津市の金太郎温泉での、巡業をしていた時です。秀次さんは、週に二・三度は、見に来てくれました。来ると必ず、座員全員に、チョコレートパフェを差し入れてくれ、皆んなが、「チョコレートパフェの兄さんが来た…」と叫んでいました。その時、横井さんが言った言葉が忘れられません。「座長は、よっぽど。夏ちゃん、春ちゃんが可愛いのでしょうネ。二人を見る目が、慈愛に満ちています…」の言葉でした。

今にして思えば、成程、そうだったかも知れません。後に魚津市で、私が肺気胸を患って、入院した時も、毎日の様に、見舞いに来てくれて、私が『船生かぶき村』をオープンした時はイの一番に、従業員として馳せ参じてくれました…。

【★てつや、石井友喜を語る…。】

       作詞作曲・三咲てつや。

          唄・石井 友喜。

『下野ふれ愛劇場』

一、旅の…、

  旅の役者が、   思いを込めて…、ソレ

  建てた皆んなの  夢劇場…、

  出逢い、ふれ愛  求めて集う、ソレ、ソレソレ

  ここは下野    塩谷町…、

  水の船生の    かぶき村…。

二、揃うた…、

  揃た、揃たよ     役者が揃うた…、ソレ、

  揃た役者は    日本一…、

  夏樹、春樹や  きよ美やさつき、ソレ、ソレソ

  見とり選り取り  芸達者…、

  それが船生の   かぶき村…。

三、見たか…、

  見たか聞いたか  下野自慢…、ソレ

  それが栃木の   新名所…、

  尾張名古屋は  城で持つが…、ソレ ソレソレ

  かぶき村なら   客で持つ…、

  おらが船生の   かぶき村…。

四、笑顔…、

  笑顔千両の    名物女将…、ソレ

  そんな笑顔に   誘われて…、

  客は鈴なり、  舞台は萌えてソレ、ソレソレ

  唄や踊りの    花が咲く…、

  ここは船生の   かぶき村…。

『解説』。 船生かぶき村のカラオケ大会は、石井友喜、ふぶき梨花・さつき・きよ美の

『下野ふれあい劇場』の、唄い手が支えてきた。いや、歌好き、カラオケ好きも、支えている、

創立二十八年を迎えられたのは、この人達があったからである…。

【★てつやの五行ポエム…。】

茂呂のお父さんも…、

チョコレートパフェの横井さんも…、

劇団暁を愛し…、

夏樹・春樹を可愛がってくれた…、

思いは巡る、走馬燈…。

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