日々かわら版
日々かわら版
船生かぶき村 かわら版 令和5年3月28日
書き終わったぁッ。
二十七日と、二十八日の『かわら版』。只今、二十八日の午前零時五分。
これで、イレギュラーながら、毎日配る『かわら版』。
その約束が守れました。パソコンの師匠、『直井先生』に感謝です…。
【★三咲てつや・作詞作曲作品集…。】
『湯の町情話』
一、一年経って、 二年過ぎて…、
三年待っても、 来なければ、どうしよう…、
月の、 八汐橋の畔…、
一人、 佇んで…、
あぁ、悲しい、 思い出を…、
胸に刻んで、 そっと包んで…、
旅に出る、 私です…。
二、四年たって、 五年過ぎて…、
六年待っても、 来なければ、どうしよう…、
淡い、 箒川の流れ…、
一人、 眺めてる…、
あぁ、あの夜、 峠道…、
熱い二人の、 今も二人の…、
語り合い、 聞こえます…。
三、七年たって、 八年過ぎて…、
九年待っても、 来なければ、どうしよう…、
今日も、 八汐橋の畔…、
お前、 偲んで…、
あぁ、湯の町、 塩原の…、
旅の一座の、 こんな男の…、
真心を、 伝えてよ…。
【★てつやの五行ポエム…。】
布団の中で、男泣きした夏樹君…、
六年生まで、私達の布団にもぐっていた春樹君…、
男らしい、お兄ちゃん…、
甘えん坊の春樹ちゃん…、
どちらも、可愛い兄弟です…。
【★三咲てつや、作詞作曲作品集…。】
『その名は梨花』
一、好きなんだけど、 好きなんだけど…、
口に出せない、 じれったい…、
笑顔悲しい、 泣きぼくろ…、
その名は梨花、 可愛い梨花…、
うしろ姿に、 投げたキス…、
見ないでくれるか、 夜の月
二、北から南、 西から東…、
ちぎれ雲でも、 好きは好き…、
君は湯の町、 宿の花…、
その名は梨花、 優しい梨花…、
雪のホテルの、 駐車場…、
握る手と手は、 放せない…。
三、好きだと聞いて、 好きだと聞いて…、
たまらないほど、 嬉しいが…、
どうにもならない、 さだめ花…、
その名は梨花、 愛しい梨花…、
グラス片手の、 カウンター…、
ひとり飲んでる なみだ酒…。
【★てつや、弟子達との出逢い…。】
私には、六人の弟子がいる。一番弟子の『さつき』。
その妹『めぐみ』。その妹『和美』。『夏樹・春樹兄弟』そして『きよ美』である。で、『さつき・めぐみ・和美・きよ美』が、愛知県出身。
『夏樹・春樹』は、福岡県出身である。
三咲さつきが二十七歳。湊めぐみが二十一歳。和美ちゃんが十四での弟子入りでた。そして、三咲夏樹が九歳。三咲春樹が六歳でした。
私は、夏ちゃんの泣き顔を見た事がない。一度だけ、泣いた事がある。
母親が、夏樹・春樹を返してくれと言うので、福岡の実家に帰る事になった時、夏ちゃんは、
布団にもぐって、男泣きしていた。
変わって、春ちゃんは泣き虫だった。面白い話があります。私が『暴れん坊将軍』になぞらえて、『甘えん坊将軍』と呼んでいた。彼は、小学六年まで、私と梨花さんの布団の中に入って、寝ていました。周りの人達に注意されて、泣く泣く一人で寝る様になりました…。
船生かぶき村 かわら版 令和5年3月27日
【★かぶき村に話題有り…。】
本来なら昨日書いて、本日配るはずの『かわら版』。とんでもないハプニングか起きて、パソコンが壊れ、遅れてしまいましたが、パソコンが治りましたので、明日。本日と明日の『かわら版』を、配らせて頂きます。悪しからず。御免ネ、御免ねぇ…。
【★劇団暁、巡業時代の思い出…。】
これまでは、私の『修業時代』『流し時代』の思い出を綴って参りましたが、ここからは『劇団暁を旗揚げし、晴れて座長となった私の、巡業時代を思い付くまま、旗揚げについて、旗揚げメンバーを紹介致します。三咲てつや。私の師匠『筑波澄子』。
筑波先生の父『智山正得』。その奥様『筑波初江』。
筑波劇団の大先輩『一志稔』。沢村くに枝。
その弟子『汐路由美』。『姿伸次郎』。その女房、『宮古千鶴』。以上の九人でスタートしました。
私は、二十七歳の時。故郷久留米市を飛び出し、大衆演劇の世界にと飛び込みました。師匠は、浅草女剣劇で一世を風靡した、『筑波澄子劇団座長』筑波澄子先生でした。
その時から、十二年が過ぎていました。
つまり、三十九歳の座長です。旗揚げメンバーでは、三十九歳の私が一番若く、中には、明治生まれ
大正生まれの人もいて、各地で『歳寄り劇団』。『老いぼれ劇団』と笑われたものです。
『那須ヘルスセンター』の旗揚げから一年後、我が劇団は、同じ栃木県の、塩原温泉。
『塩原温泉ホテル』公演で、運命の人と出逢いました。
そうです。現在の『船生かぶき村・女将』つまり、妻の『ふぶき梨花』と出会えたのです…。
私と、ふぶき梨花が出逢った年は、十年に一度の大雪で、とりわけ標高の高い塩原温泉の雪は深く、九州育ちの私には、身に沁みる公演でした。それでも、梨花さんとの出逢いは、極寒の寒さを忘れさせるには十分でした…。
【★三咲てつや・作詞作曲作品…。】
『雪舞い峠』。 唄・ふぶき梨花。
一、すぐに甘える、 泣き癖の…、
お前をひとり、 帰せない…、
雪の峠の、 下り道…、
車を停めて、 手を取って…、
抱いて温める、 細い肩…、
あぁ、二人の、
燃えて二人の、 雪舞い峠…。
二、めぐり逢わなきゃ、 良かったと…、
思う先から、 また募る…、
愛しお前の、 なみた顔…、
髪を優しく、 撫でたなら…、
笑顔浮かべて、 目をつむる…、
あぁ、真夜中、
今は真夜中、 雪舞い峠…。
三、名前読んだら、 泣けてきた…、
君は悲しい、 宿の花…、
寄って崩れて、 苦しそう…、
なんでそんなに、 飲むのかい…、
酒に逃げては、 いけないよ…、
あぁ、湯の町、
ここは湯の町、 雪舞い峠…。
『解説』 この『雪舞い峠』。
唄っているのは『ふぶき梨花』ですが、この詩の内容は、私が『ふぶき梨花』を思っている詩となっております。
元来、私の作詞は、この曲に限らず、『ロマン』と『哀愁』が基調になっています。
つまり、『ロマン』を、広く描いており、飽くまでも『哀愁』を、追求しています。
初めに『詩』が出来て、後からメロディーをつけるのが普通ですが、先にメロディーが出来て後から詩を書きこむ方法もあります…。
【★てつやの五行ポエム…。】
極寒の塩原温泉で、知り合った『ふぶき梨花』…、
作詞作曲が好きな私は…、
梨花さんとの愛の歌を、何曲か作りました…、
『雪舞い峠』『その名は梨花』。『湯の町情話』…、
忘れられない思い出よ、永遠に…。
船生かぶき村 かわら版 令和5年3月26日
【★かぶき村に話題有り…。】
一昨日。三月二十四日(金曜日)』の『かぶき村』は笠間ロータリークラブの依頼で、『台湾交流会』に出演致しました。メンバーは、三咲きよ美・梨奈。さつき。『妃咲劇団』の、妃咲ひなた・妃咲ほる・藤美匠・小山晶士と、ドライバーの八木ちゃんです。
果たして結果は、皆んなが帰って来た時、私が、「どうたった…」と聞くと、全員。揃って、「大成功でした…」の言葉に、二代目ありがとう。ひなたちゃん有難うと、小踊り致しました…。
【★てつや、流し時代の思い出④…。】
私は、この『市川喜章劇団』で、昭和五十一年から、五十八年『劇団暁』を、旗揚げするまでの、八年間。
広島県・島根県・鳥取県・愛媛県・香川県・徳島県・大分県・福島県等を巡業し、不思議な巡り合わせで愛知県・吉良町。私が流しを始めた『吉良壮』の
仕事が入ったのです。そこで私は、白ばら音楽事務所を訪ね、流しをさせて頂きました。。歌を唄える私が『おん鳥』で、歌を唄えない喜章座長が『めん鳥』です。私がアコーディオンで、喜章座長がベースギター。楽器弾けなくても、簡単な稽古で出来るベースの迷コンビ誕生です。折しも桜満開の季節、岡崎公園の『桜祭り』に繰り出しました。
岡崎公園は、朝十時から、夜の十時まで営業していて、計十二時間です。流しの料金は三曲千円です。
此の時ばかりはと、私達も頑張って、多い時は、一日・五万円くくらいは稼いだものです。
岡崎公園の『桜祭り』は、二週間ほど開催されていたので、二人で『ン十万円』ほど、稼ぎました。
ちなみに、当時、私か持っていたアコーディオンは、『エクセルシャ』の、百二十ベースの、重さ十㎏で、それを一日中、担いでいるのは並大抵でないもので、それが出来たのは、私が若かったからです。
それに、何時かは『劇団』を旗揚げしたいと思っていたからでもあります…。
【★てつや、流し時代思い、出⑤…。】
私が、岡崎公園桜祭りで、喜章座長と一緒に、流しをしたのが、昭和五十三年四月であった。
それから五年後の五十八年六月。遂に『劇団暁』を旗揚げしたのです。その時ばかりは、喜章座長の引き留工作は壮烈であった。それは、
南座の社長であり、中には私の贔屓さんもいた。
色々な、引き止め方であった。集約すると、こうだ。
座長の条件として、
一、誰もが認める、大衆演劇界の名門であること。
二、誰もが認める、芸達者であること。
三、多くの資本があること。衣装・かつら・音響資材・照明器具がある事。
四、少なくとも、三十本の外題を持っている事。
座長になって苦労するより。『花形』で気楽にやる方が安心だよ。
あれやこれやと考えていたら、芝居のネタは、せいぜい五本程度で、
かつらは六面。衣装は茶箱が三つ。
言わば、無い無いずくしの旗揚げである。
有るのは、どうしても座長になりたいと言う情熱だけである。どうする『三咲てつや』。
おっかなびっくり、『劇団暁』の旗揚げは、昭和五十八年六月。栃木県・那須塩原郡・西那須野町『那須ヘルスセンター』での公演でした。旗揚げの数日前、私は夢を見ました。私は夢の中で、アコーディオンを弾きながら歌を唄っている夢です。その曲こそ、
『楽屋ぐらし』と『てつや太鼓』の。
旗揚げ記念曲です。夢に見るほど、座長になりたかった私です。さつきも知らず、めぐみ・和美も知らない。夏樹・春樹も知らない。きよ美も、知らない。それどころか、ふぶき梨花でさえ、私と出逢う、以前の話ですから…。
【★てつやの五行ポエム…。】
義理と人情を、秤にかけて…、
義理より、重い夢があり…、
人情より、大きい夢もある…、
旗揚げの夢、座長になる夢…、
弟子時代から、持っていた私の夢…。
船生かぶき村 かわら版 令和5年3月25日
うぉッ、寒いッ、午前三時の『かぶき村』。
折角、目が覚めたのだからとパソコンを開く、
『船生かぶき村・かわら版』が、私を招く。
頑張るぞ、今日も、明日も、明後日(あさって)も…。
【★てつや、流し時代の思い出③…。】
流し暮らしを謳歌していた頃。私は、ある予感がした。私が流して歩く店々に、カラオケボックスが流行り始めたからである。私は思った。
「あぁ、これで、やがては、流しが廃る…」と思い。これでは演歌師では喰っていけないと判断し、又、大衆演劇の世界に戻ろうと決心しました。
この時、私が選んだ劇団は、座長『市川喜章』率いた『やまびこ座』でした。所は、広島県呉市の『呉温泉』というセンターです。このかわら版を読んでいる皆様には、愛知県、碧南市の新川町で流しをしていた私が、遠く離れた西国・広島なのかと御思いでしょうが、流しは日本全国・各都市の流しの元締めに、一升の酒を持って行き、許可を受ければ、三日間だけ、流しが出来るのです。
こうして辿り着いたのが、広島県・呉市だったのです。
ここで『やまびこ座』のメンバーを御紹介すると、座長・市川喜章。大幹部・桂木英二。姿富士夫。桜井鉄之助。毛利勇。市川英二。江戸っ子千恵。ほかに数名居ましたが、今は、記憶が定かではありません。ここで、驚きのニュースです。
やまびこ座の初日狂言が、本日『かぶき村』でやる『晩鐘・兄と妹』です。配役は、兄の清次郎を市川喜章。飲んだくれの三五郎を、私がやっていたのだから驚きです。また、『劇団暁』旗揚げ公演の、初日狂言が、この『晩鐘・兄と妹』でした。
【★てつや、やまびこ座の思い出…。】
その翌年、『市川喜章劇団』は、四か月間の、福岡公演がありました。そのコースは、九月『甘木温泉センター』。十月『若戸スポール』十一月『久留米リバーサイドパレス』。
十二月『犀川温泉センター』。であった。
私は、小躍りして喜んだ。早速、父ちゃんに電話をした。父ちゃんは喜んでくれました。
親不孝して飛び出した私を、許してくれたのである。私が、役者になっていたのを喜んだのである。
昔、父ちゃんは 『ちゃんぽん組・五九郎座』という『久留米にわか』の一座を持っていたのである。
久留米リバーサイド公演の折は、『暁住宅』の住人、三十名と共に、見に来てくれたものです。
父ちゃんが風呂場で、「今日の芝居はどうだった…」と聞くと、「いやぁ良かった。市川喜章も良かったが、三咲てつやが良かった ばい…」。
その上、「お前が一番よかったぞ…」と言い出す始末で、正に、『親馬鹿かぼちゃ』とは、この事ですネ。私は、犀川温泉でも作詞作曲した曲があります。
それが、この曲。『犀川の夜』です。
一、三月前には、 甘木の町で…、
昨日久留米で、 見たという…、
風が冷たい 十二月…、
人の噂じゃ、 この町に…、
いるというのを、 聞いてきた…、
逢って泣きたい、 犀川の夜…。
二、古い家並み、 心に沁みる…、
旅の一夜を、 温泉の…、
淡い湯の香に、 身を包む…、
恵比寿神社の、 みくじ札…、
祈る思いの、 恋ごころ…、、
一目逢いたい、 犀川の夜…。
三、海の風なら、 行橋あたり…、
川の匂いは、 犀川の…、
街の明かりが、 灯る頃…、
泣きたいくらい、 淋しくて…、
一人歩きの、 裏通り…、
霧に霞んだ、 犀川の夜…。
【★てつやの五行ポエム…。】
明治の石松と、言っていい程のお人よし…、
あれほど親不孝しても…、
再会すれば、喜ぶ父ちゃん…、
親馬鹿 かほちゃの、親かぼちゃ…、
今は亡き、父ちゃんが大好きだ…。
船生かぶき村 かわら版 令和5年3月21日
今日のかわら版は、私・三咲てつやの、流し時代の思い出が満載です。遠い、遠い、遥かに遠い昔の思い出です。笑わないで下さいネ…。
【★てつや、流し時代の思い出②…。】
私は日々。流して歩きながら、ポリシーでもある。
作詞作曲も手がけました。ここで、その二・三曲を紹介致します。先ずは、この曲から…、
『新川育ち』
一、一年経ったら、 迎えに来ると…、
貴方は東京に、 行ったけど…、
油ケ淵の、 花あやめ…、
咲いて散っても、 ただ一人…、
待っているのよ、 新川育ち…。
二、お稽古帰りの、 住吉橋で…、
浴衣姿で、 歩いてた…、
貴方に声を、 掛けられて
あれから一年、 もう二年…、
三年過ぎます、 新川育ち…。
三、私が生まれて、 初めて知った…、
愛することの、 幸せを…、
淡い湯の香の、 衣浦で…、
抱いて抱かれた、 嬉しさが…、
今も消えない、 新川育ち…。
『新川恋歌』、
一、風、そよ吹く、 みどりの夜風…、
月、きれいな、恋の月、 新川町よ…、
チョッとあそこに、 寄ろうかな…、
今日も。あの娘は、 来てるかな…、
逢ってみたいわサ、
でもサ、 でも、逢えるかな…。
二、雨、静かに、 真珠の小雨…、
花、濡れてる、ネオン花、新川町よ…、
今日もあそこに、 行こうかな…、
ママと一杯、 やろうかな…、
妻をのろけてサ、
でもサ、 でも、照れちゃうな…。
三、酒、グラスに、 溢れるお酒…、
胸、沁みるよ、未練酒、新川町よ…、
酒はあそこが、 楽しいネ…、
五臓六腑を、 暖める…、
酔っちゃ駄目かいナ
でもサ、 でも、酔いたいな…。
『旅役者、西から東』
一、筑後の流れ、 西に見て…、
山の東に、 月が出る…、
絣の町の、 ふるさとを…、
捨てて十年、 ひと昔…、
二、芸の心を、 知り染めた…、
伊予の松山、 奥道後…、
指折り月日、 数えれば…、
三年過ぎた、 頃だった…。
三、松江湯の町、 玉造…、
粋な芸者の、 爪弾きに…、
ホロリよろけた、 石畳…、
恋もしました、 人並みに…。
四、あの娘、お嫁に、 行ったとか…、
ふるさと便り、 風便り…、
過ぎた月日を、 数えれば…、
六年過ぎた、 頃だった…。
五、魚津・妙高、 上山田…、
名古屋・豊橋、 吉良港…、
旅の役者は、 西東…、
いつか忘れた、 国訛り…。
六、テケテン、テケテン、 ふれ太鼓…
やっと掴んだ、 撥さばき…、
師匠が認めて、 くれたのは…、
九年が過ぎた、 頃だった…。
『解説』
美国舞踊劇団で公演していた『吉良町』は、私が、後に『流し暮らし』をした町となった。
流しと作詞作曲の両方を経験出来た。コンビの『神谷作造』先輩は大恩人です…。
【★てつやの五行ポエム…。】
三年間の演歌師ぐらし…、
碧南市の新川町…、
夜の居酒屋で知り合った人々…、
人情溢れる、御客様…、
歌は世につれ、世は歌につれ…。
女将さん、先日は有難う御座います。
また、お伺いいたしますれば、See.you.soon!
11月のユーユー会館の公演で初めて劇団暁拝見しました!1回目で大ファンになりました。特に春樹座長が大好きです!ファンクラブはありませんか?ゴートウトラベルが始まりましたら船生歌舞伎村へ行きたいと考えています!春樹座長達が入る月を教えてください!楽しみにしています!
二宮美樹様
コメントありがとうございます。
巡業組(夏樹・春樹・暁人座長組)は、年が明けまして2021年2月、船生かぶき村にて上演の予定です。
是非ともお越しくださいますよう、座員全員首を長くしてお待ちいたしております。
お気をつけてお越しください。
なお、以下のツイッターにてもお知らせ等いたしておりますので、ご確認ください。
https://twitter.com/MisakiTetsuyaFK