日々かわら版

初代座長「三咲てつや」の徒然なるコラム・・・しばしのお付き合いを…

日々かわら版

船生かぶき村 かわら版 令和5年3月6日

【★かぶき村に話題有り】

『栃木八十八ケ所。芝居巡礼・②』

 記念すべき第一回無芝居巡礼は、ふぶき梨花で『里帰り公演として矢板市民文化会館』でしたが、

第二回芝居巡礼は、日光市総会館での『羽ばたけ花形兄弟』で『三咲夏樹の弁天小僧』でした。

続いて第三回芝居巡礼は、『鹿民文化センター』で、三咲きよ美の『一本刀土俵入り』です。

そして第四回芝居巡礼は、さつき、めぐみ、和美の『撫子三姉妹』により、芝居は『二人の父・伊織と早苗』で、会場は『西那須野町民ホール』でした。

そして、第五回芝居巡礼は、『羽ばたけ花形兄弟、明治座凱旋公演』のタイトルで、会場は

『今市市文化会館』。三咲春樹主演で『森の石松・焔魔堂、、最後、馬鹿は死ななきゃ治らない』でした。

 まだまだ続く『芝居巡礼』ですが、ここで一休みして第六回『芝居巡礼』は、明日の『かわら版』で…。

【★てつやの思い出の一筆…。】

『ポール牧師匠編・①』

 談志師匠は、実に多くの人を、私に紹介してくれました。それは、清川虹子先生然り、浅香光代先生然り、ガッツ石松然り。マヒナスターズの松平直樹さん、ミッキーカーチスさん、山城新伍さん、中尾彬さん、大映映画の往年のスター「小林勝彦」さん、

立川志の輔師匠、桂文珍師匠、当時、勘九郎と言っていた中村勘三郎さん、数えていたら枚挙にいとまがないが、ポール牧師匠編も、その中の一人であった。

 ポール牧師匠編を語る時、一番先に言えるのは、兎に角、愉快で楽しい人でした。その出会いは、

渋谷にある、NHK放送センターのロビーであった。

『立川企画』の社長と打ち合わせの為にお会いした時、一台の車が止まった。その車は『ロールスロイス』。

降りて来たのが、指パッチンでお馴染みの、『ポール牧師匠であった。ポール師匠も、松岡社長と待ち合わせていたのである…。(つづく)

【★てつや、石井友喜を語る…。】

三咲てつや・作詞作曲。 唄、石井友喜。

一、恋も知らない    十四の春の…、

尾張名古屋の    芝居小屋…、

  熱く伝わる     師匠の芝居…、

  娘心に       憧れて…、

門を叩いて     旅役者…。

二、泣いて見送る    母の名呼べば…、

  影が小さく     消えてゆく…、

握る扇を      要で返す…、

喜八が似合いの   娘でも

  意地で迎える    初舞台…、

三、岩手三陸      宮古の町の

  北の舞台は     雪化粧

  稽古厳しい     楽屋の隅に

  励ます母の     声がする

  いつか見せたい   舞姿

【解説】  この曲は、三咲さつきの妹であり、私の弟子「三咲和美」が『豊橋ラドンセンター』

    から、次の巡業地、岩手県宮古市の『ホテル近江屋』へ旅立つ時の、母との別れの情景を

    描いた作品である。

    私にとっても、思い出深い作品ですが『石井友喜』も、度々愛唱した曲でした…。

    当時、中学二年生で十四歳だった和美ちゃん。旅役者になるだけでも勇気のいる事ですが、

    ましてや、遠い岩手県に旅起つのは辛い、母娘の悲しみ溢れる別れだったと

    思います。私の作詞作曲作品は、旅役者の喜びや悲しみが主流になっています。

    それは、この『かわら版』も同様です。

    作詞作曲も、『かわら版』も私の生き様、そのものです…。

    あぁ我が人生、あと何年、ワッショイ…。

【★てつや、五行ポエム…。】

指パッチン…、

愛嬌あふれる、ポー匠の仕草は…、

どれだけ多くの。人を和ませたか…、

私にも、多くの幸せを浴びせて下さった…、

今は亡きポール師匠。その死を悼む…。

船生かぶき村 かわら版 令和5年3月5日

【★かぶき村に話題有り…。】

 『企画・八十八ケ所、芝居巡礼について…。』

 平成、六年十一月十一日にオープンした。船生かぶき村は、昨年の十一月十一日で、創立以来、

丸二十八年を迎えました。人口一万人を、僅かに超える町と呼ぶのも恥ずかしい『塩谷町』です。

しかも、首都圏からのアクセスが悪い、この悪条件の中で、二十八年以上も続けて来られたのは、並大抵の事ではありませんでした。

あれやこれやのアイデアを駆使して、顧客動員を図ってきました。その一つがこの『栃木八十八ケ所・芝居巡礼』でした。

記念すべき、第一回巡礼の座長は「ふぶき梨花」で、彼女の出身地矢板の『矢板市文化会館』でした。

ふぶき梨花『里帰り公演』と銘打った企画が当たり大入り満員の盛況でした。ふぶき梨花は、今は亡き

父の『関谷克己』に向かって、「父ちゃん、リツ子元気に頑張っているよ…」と、天に向かって声を上げていました…、

ふぶき梨花。若かりし頃の一ページです…。

【★楽屋つれづれ草…。】

 日毎に春めく今日此の頃。それでも今はまだ二月。

三寒四温の日々は続く。ホンとの春はまだ遠く、九州育ちの私には、チョッと厳しい季節です。

それでも『船生かぶき村』は、舞台も客席も暖かい。

劇団さんの舞台は熱く、負けるものかと私の、長編歌謡浪曲の唄声も熱い。

拍手喝采の、客席はもっと熱い。

寒い時こそ、桟敷は皆んなの楽天地だ…。

【★五行ポエム…。】

駆け落ち同様に、故郷を離れたふぶき梨花…

必ず故郷に錦を飾ると言う。三咲てつや…、

夫婦が築いた『船生かぶき村』…、

夢を叶えた、てつやと梨花…、

天国の父は何思う…。

【★てつや、石井友喜を語る…。】

『劇団暁、東日本大震災の被災地・石巻市慰問』

 東日本大震災の一年後、私達は三年ほどお世話になった「かんぽの宿、石巻」を慰問した。

一年後には石巻高校の体育館へ、私達は明るい芝居が良いと思い、『芸者の意気地』を選んで、笑いの渦に包み込んだ。二年後には石巻のアウトレットで『石井友喜歌謡ショー』を開催。それを聞いた

『佐藤企画』の社長が言った。

これは上手い、背筋から寒気がしたと驚いた様子でした。宮城と言えば民謡の宝庫と言われるほど

民謡が盛んな所です。という事は、石井友喜の唄声が素晴らしたったという事になります…。

『立川談志師匠編・⑥』

 平成二十二年の十二月、例の、浅草公会堂の座長大会の時でした。談志師匠が、そして、ひょっこり楽屋見舞いに来て下さいました。『三咲さん。来週の『週刊現代』に、三咲さんの事を書いたから

読んでくれ」と言うのである。

「俺は、歌舞伎役者が嫌いだ。国の支援で立派な劇場かも知らんが、世襲でやっている。俺が贔屓に

している三咲てつやさんは、素人から大衆演劇に入門して、小さいながらも自費で芝居茶屋を建てた

その生き様こそ俺は好きだ…」と、書いてありました。

楽屋見舞いを置いて、芝居も見ずに裏口から淋しそうに帰って行かれました…。

『立川談志師匠編・⑦』

 平成二十七年十二月十日。

 この年の十二月。劇団暁は『浅草木馬館』公演です。

木馬館の下手にある音調室の、更に下手に鰻の寝床のような処に、私の楽屋がある。

その時も、例の『浅草木馬館・かわら版』を書いていて、うとうとと眠りに入っていた。

その時、五年前に亡くなった『談志師匠』が客席で劇団暁の舞台を観ている夢を見ました。

夢って良いですね。

死んだはずの『談志師匠』と会えるのですから、そう言えば、平成元年に亡くなった父ちゃんの夢も

見ます。その昔、『夢で逢いましょう』という番組がありましたネ。本当に、夢って素晴らしいです。

夢よ、有難う、有難う、有難う…。

船生かぶき村 かわら版 令和5年3月4日

【★かぶき村に話題有り…。】

『ウクライナ難民の皆様を船生かぶき村に迎えて…』

 船生かぶき村では、令和四年十二月三日(土曜日)。ウクライナ難民の皆様を御招待して、第一部・芝居と第二部・舞踊ショーを見て頂きました。

その後、アトラクションとして、三咲さつきが母親で、娘役の三咲和美が『東京だよ おっ母さん』を踊り、今度は娘役を、ウクライナの方に演じて貰う事に致しました。

驚いた事に、ウクライナの人たち十人以上が舞台に上がったのです。

おっ母さん一人に娘が大勢という珍現象はウクライナの皆様が楽しんだのだと思います。

用意したプログラムが終了。私が「これで終演です。さようなら…」と言っても、皆さんは、帰りたくない様子で、「まだ、居たい…」と言っていました。

それだけ、楽しかったのだと思います。

難民の皆様を御慰め出来て、私達も嬉しい…。

【★楽屋 つれづれ草…。

 今、三月四日、午前零時四十五分。

現在、三月四日の『船生かぶき村・かわら版』の執筆中です。昨日はなんだかんだと忙しく、

本日、この『かわら版』お配りするために パソコンに向かって追い込んでいます。

一日も欠かさず『かわら版』をお届けするとの約束は絶対守ります。

どんなに疲れても、どんなに眠くても、約束は約束です。『かわら版』を書く事は私の使命

約束を守ることも私の使命です…。

【★てつやの五行ポエム…。】

フレンドリー、バスツアーの名の下に…、

ウクライナの皆さんをお迎えして、

二代目座長母娘、さつき、めぐみ、和美、

女将、私の接待は続く、ウクライナの皆さん

の、喜ぶ姿に安堵する…。

【★三咲てつや、石井友喜を語る…。】

私の作詞作曲作品、『初舞台』の思い出。

この曲は、ふぶき梨花が役者になって 私と一緒に北海道に行きたいと告白した時の

情景を描いた作品です。この曲の、二番の歌詞に「母は涙で頬濡らす…、あえて無言の父の顔…、」と、

ありますが、此の時の、ふぶき花は余程の覚悟で切り出したものと思います。その情景を、見事に表現したのが、『石井友喜』でした。私の作詞作曲作品の中で、『怒涛舟』と『初舞台』の二曲は

最高傑作と言えるものです…。

【★思い出の一筆…。】

『立川談志師匠編・④に 船生かぶき村に御預りした、弟子の中で現在まで付き合っている人がいます。

当時の、志櫻さん。現在は『志遊』の名前で真打として活躍している。面白い話があります。

彼が、前座から、二つ目に昇進した時の話です。

今でも、忘れられない話です。

『談志師匠』が言った言葉ですぞ…。志遊が本日、二つ目に昇進出来たのは、ここにいる

三咲てつやさんのお陰です。さしたる指導も出来なかった私を、そこまで評価して下さったのかと、信じられない思いです。

有難う『志遊』師匠。有難う『談志師匠』…。

『立川談志師匠編・⑤』

 談志師匠といえば、えてして破天荒で、自由奔放に生きているように言われていますが、

ところがドッコイ、実は、とても繊細で、心配りの優しい方と見ています。

例えていうと、こうである。談志師匠に誘われて訪ねた時の事です。丁度、テレビの撮影中で、

私は遠慮して、遠くで見ていると、それを目ざとく見つけた談志師匠が、「何も遠慮することはないよ。三咲さんは、友達 なんだから…」と笑いながら手招きをして下さいました。当時私は、武田信玄に憧れて、頭は坊主頭、もみあげから顎にかけて髭を伸ばしていました。それでも私だと分かった談志師匠。

本当に有難い思い出です…。

船生かぶき村 かわら版 令和5年3月3日

【★かぶき村に話題あり…。】

 本日は、この『かわら版』について語ろう。

『かわら版』といえば、現在の新聞の事である。

朝日新聞・毎日新聞・読売新聞・下野新聞でも、新聞は、先日の出来事をニュースとして取り上げて

いるものです。という事で、今日の『かわら版』は昨日の話題がメインです。ここで又、困った事があります。皆様には、こんな事はりませんか。歳を取ると昨日、食べたものが思い出せない事があり、

困っています。でも心配ありません。例え、咄嗟に思い出せなくても、じっくり考えれば思い出せます。この『かわら版』はパソコンで書いていますから、打ち込んだ文字をユックリ見ていますので文字の変換は容易に出来ます。御安心下さいませ …。

 元来、私はジックリ考えるのが好きです

例えば、作詞をする時、この言葉を、この様に入れ替えればもっと良くなるとか、

作曲するにも、この『おたまじゃくし』をこの様に入れ替えれば、パンチが効くとか

情感が深まるとか、考えるのも楽しみです…。

【★楽屋つれづれ草…。】

 鎌倉時代の『徒然草』は、思い付くままに呟いてみるという事です。

呟くと言えば、今のツイッターの事ですがこれをSNSで叩かれ、時には炎上します。

単なる老優の楽しみを奪いかねないのです。

ご用心、ご用心…。

【★五行ポエム…。】

妃咲ひなた良い…、

山脇広大、良い…、

小山晶士、良い…、

藤美匠、また良い…、

いやいや、皆んな良い…。

【★塩谷町散歩…。】

『ファミリーマート』、

『ファミリーマート・船生店』は、何と船生かぶき村から徒歩で三分の、

国道461号のバイパスを挟んだ道路の向かい側にあります。

 女将のふぶき梨花はファミリーマートの「ファミチキとレモン牛乳」、が好きです。

私は、「肉饅と、おにぎり」が大好きで、時々買いに出かけます。

実をいうと、昨日もファミリーマートに行き、『ファミチキ、レモン牛乳』

『肉饅・おにぎり』をバッチリ、買って来ました…。

【★三咲てつや、石井友喜を語る…。】 

 昭和五九年度、『民謡日本一、内閣総理大臣賞』に輝いた『石井友喜』を紹介致します。

石井先生との出逢いは、三位以内に入賞した人には、

私が作詞作曲をしてあげるとして、『カラオケ大会』を開催した時に遡る。結局、先生は三位に入りませんでしたが、これには訳がありました。石井先生が過去に民謡日本一だったという事で、審査の対象外であったらしいのです。私は、そうだったのかと説得し石井先生に『怒涛舟』。岡本賢には、『恋を振り分け新太郎』。鈴木京香に『娘旅笠恋草鞋』を作曲致しました。

その後、私は石井先生に、『泣き濡れて北浦』『役者道』『むすめ旅役者』『海華亭小唄』『初舞台』

『さぁさ皆んなで踊りゃぁヨ』『暁人のわんぱく座長』など、色々の曲を提供致しました…。

【★思い出の一筆…。】

『立川談志師匠編・③』

 あれは、平成七年七月だった。

「三咲さん、私の弟子どもを、船生かぶき村で修業させてくれと…」と仰って、笑志・志雲・キュウイ・志遊・ワコール・国士館・談笑・談々の八人を預かりました。

後に、其の八人全員。真打に昇進したものです。今は、懐かしくも嬉しい思い出です…。

談志師匠、有難うございました…。

船生かぶき村 かわら版 令和5年3月2日

【★かぶき村に話題有り…。】

 今、船生かぶき村に於いて、直近の話題と言えば、この、三月公演中の劇団の話題であろう。

二月公演の『劇団駒三郎』の様に、纏まった一つの劇団と違って、下町かぶき組の流れを汲む、山脇広大さんや、小山晶士さん。妃咲劇団の妃咲ひなた、妃咲ほたる。

藤美匠、秋川美保の二つの劇団による混成劇団である。

元来、役者は育った劇団によって芸風が全く違い、間が合わない、息が合わないものですが、初日の芝居を見せてもらったが、互いに息のあった芝居でした。

昨夜、読み稽古・立稽古と頑張っていた成果が出たのでしょう。

何事も、『為せば成る…』ものですネ…。

【★楽屋つれづれ草…。】

 昭和は遠くなりにけり、昭和十八年生まれの私も今年の十二月九日で、満八十歳になります。

明治三十三年生まれの父ちゃんは、平成元年一月八日に他界した。

覚えていますか、

その一日前までは昭和だったのですよ。

つまり昭和天皇が御隠れになったのが、父ちゃんが死んだ一日前だったのです。

父ちゃんが死んだ平成元年八月。私は福岡へ里帰り公演を果たしました。

夏樹・春樹兄弟と出逢い二人は私の弟子となりました。

夏樹が九歳で小学三年。春樹が六歳で小学一年の 時でした。二人は、関東でも指折りの人気役者に

育ってくれました。思い出すだけでも涙ぐむ歳月(としつき)でした…。クスン…。

【★五行ポエム…。】

三月公演、初日の幕が開く…、

舞踊ショーのラスト前…、

私は、長編歌謡浪曲、赤垣源蔵を唄う…、 

何時もより声が出て、気分良好…、

我一人悦に入り、殊更、満足…

【★塩谷町散歩…。】

 『道の駅、湧水の郷。しおや』

 船生かぶき村から西へ、二キロの地点に

「湧水の郷・しおや」と言う名称の『道の駅』があります。中には、三十を超える店舗があり、

塩谷町内の飲食業、その他の有志によるテナントが多い。敷地内には多目的ホールがあって

民謡会・琴、大正琴の演奏会も行われている。 

とくに、「別れの一本杉」「なみだ船」「矢切りの渡し」『みだれ髪』『ひばりの佐渡情話』『哀愁波止場』など数々のヒット曲を作曲し、文化勲章を頂いた『船村徹先生』や、『忘れな草をあなたに、鳥取砂丘』『汽笛』等の作詞者『木下龍太郎先生』がいて、また、五木ひろしが唄った『汽笛』と

北島三郎が唄った『風雪流れ旅』は、二年連続で紅白歌合戦の大トリだった事があります。

正に、演歌の町船生と言っても過言ではない。

正真正銘の話ですよ…。

【★カラオケ会 を訪ねて…。】

 このコーナーは次号で書かせて頂きます。

【★思い出の一筆…】

『立川談志師匠編。その②』

 師匠との出逢いは前号で書いた通りですが、次に御逢いしたのが、明治安田生命になっていて

当時は『安田生命』だった頃。劇団暁、最後の巡業地『袋井ラドンセンター』公演を終え、

談志師匠と約束した。『安田生命ホール』で落語と大衆演劇のコラボ公演を果たした時でした。

その時のメンバーは、談志師匠・ポール牧師匠毒蝮三太夫師匠、沢竜二先生で、

劇団暁では、三咲てつや、ふぶき梨花、三咲春樹、三咲さつき、湊めぐみ、三咲和美の六人は

化粧して参加。三咲きよ美と三咲夏樹は素顔で参加。面白い裏話があります。

化粧している六人が役者で化粧をしていない、きよ美座長と夏樹座長は

付き人と思っていたらしく、何となく、夏樹ちゃんと、きよ美ちゃんは寂しそうでした…。

日々かわら版」への3件のフィードバック

  1. 女将さん、先日は有難う御座います。
    また、お伺いいたしますれば、See.you.soon!

  2. 11月のユーユー会館の公演で初めて劇団暁拝見しました!1回目で大ファンになりました。特に春樹座長が大好きです!ファンクラブはありませんか?ゴートウトラベルが始まりましたら船生歌舞伎村へ行きたいと考えています!春樹座長達が入る月を教えてください!楽しみにしています!

    • 二宮美樹様
      コメントありがとうございます。
      巡業組(夏樹・春樹・暁人座長組)は、年が明けまして2021年2月、船生かぶき村にて上演の予定です。
      是非ともお越しくださいますよう、座員全員首を長くしてお待ちいたしております。
      お気をつけてお越しください。

      なお、以下のツイッターにてもお知らせ等いたしておりますので、ご確認ください。
      https://twitter.com/MisakiTetsuyaFK

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