船生かぶき村 かわら版 令和5年3月27日

【★かぶき村に話題有り…。】

 本来なら昨日書いて、本日配るはずの『かわら版』。とんでもないハプニングか起きて、パソコンが壊れ、遅れてしまいましたが、パソコンが治りましたので、明日。本日と明日の『かわら版』を、配らせて頂きます。悪しからず。御免ネ、御免ねぇ…。

【★劇団暁、巡業時代の思い出…。】

 これまでは、私の『修業時代』『流し時代』の思い出を綴って参りましたが、ここからは『劇団暁を旗揚げし、晴れて座長となった私の、巡業時代を思い付くまま、旗揚げについて、旗揚げメンバーを紹介致します。三咲てつや。私の師匠『筑波澄子』。

筑波先生の父『智山正得』。その奥様『筑波初江』。

筑波劇団の大先輩『一志稔』。沢村くに枝。

その弟子『汐路由美』。『姿伸次郎』。その女房、『宮古千鶴』。以上の九人でスタートしました。

 私は、二十七歳の時。故郷久留米市を飛び出し、大衆演劇の世界にと飛び込みました。師匠は、浅草女剣劇で一世を風靡した、『筑波澄子劇団座長』筑波澄子先生でした。

その時から、十二年が過ぎていました。

つまり、三十九歳の座長です。旗揚げメンバーでは、三十九歳の私が一番若く、中には、明治生まれ

大正生まれの人もいて、各地で『歳寄り劇団』。『老いぼれ劇団』と笑われたものです。

『那須ヘルスセンター』の旗揚げから一年後、我が劇団は、同じ栃木県の、塩原温泉。

『塩原温泉ホテル』公演で、運命の人と出逢いました。

そうです。現在の『船生かぶき村・女将』つまり、妻の『ふぶき梨花』と出会えたのです…。

 私と、ふぶき梨花が出逢った年は、十年に一度の大雪で、とりわけ標高の高い塩原温泉の雪は深く、九州育ちの私には、身に沁みる公演でした。それでも、梨花さんとの出逢いは、極寒の寒さを忘れさせるには十分でした…。

【★三咲てつや・作詞作曲作品…。】

『雪舞い峠』。 唄・ふぶき梨花。  

一、すぐに甘える、    泣き癖の…、

  お前をひとり、    帰せない…、

  雪の峠の、      下り道…、

  車を停めて、     手を取って…、

  抱いて温める、    細い肩…、

  あぁ、二人の、

  燃えて二人の、    雪舞い峠…。

二、めぐり逢わなきゃ、  良かったと…、

  思う先から、     また募る…、

  愛しお前の、     なみた顔…、

  髪を優しく、     撫でたなら…、

  笑顔浮かべて、    目をつむる…、

  あぁ、真夜中、

  今は真夜中、     雪舞い峠…。     

三、名前読んだら、    泣けてきた…、

  君は悲しい、     宿の花…、

  寄って崩れて、    苦しそう…、

  なんでそんなに、   飲むのかい…、

  酒に逃げては、    いけないよ…、

  あぁ、湯の町、

  ここは湯の町、    雪舞い峠…。

『解説』 この『雪舞い峠』。

唄っているのは『ふぶき梨花』ですが、この詩の内容は、私が『ふぶき梨花』を思っている詩となっております。

元来、私の作詞は、この曲に限らず、『ロマン』と『哀愁』が基調になっています。

つまり、『ロマン』を、広く描いており、飽くまでも『哀愁』を、追求しています。

初めに『詩』が出来て、後からメロディーをつけるのが普通ですが、先にメロディーが出来て後から詩を書きこむ方法もあります…。

【★てつやの五行ポエム…。】

極寒の塩原温泉で、知り合った『ふぶき梨花』…、

作詞作曲が好きな私は…、

梨花さんとの愛の歌を、何曲か作りました…、 

『雪舞い峠』『その名は梨花』。『湯の町情話』…、

忘れられない思い出よ、永遠に…。

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