船生かぶき村 かわら版 令和5年3月25日

うぉッ、寒いッ、午前三時の『かぶき村』。

折角、目が覚めたのだからとパソコンを開く、

『船生かぶき村・かわら版』が、私を招く。

頑張るぞ、今日も、明日も、明後日(あさって)も…。

 【★てつや、流し時代の思い出③…。】

 流し暮らしを謳歌していた頃。私は、ある予感がした。私が流して歩く店々に、カラオケボックスが流行り始めたからである。私は思った。

「あぁ、これで、やがては、流しが廃る…」と思い。これでは演歌師では喰っていけないと判断し、又、大衆演劇の世界に戻ろうと決心しました。

この時、私が選んだ劇団は、座長『市川喜章』率いた『やまびこ座』でした。所は、広島県呉市の『呉温泉』というセンターです。このかわら版を読んでいる皆様には、愛知県、碧南市の新川町で流しをしていた私が、遠く離れた西国・広島なのかと御思いでしょうが、流しは日本全国・各都市の流しの元締めに、一升の酒を持って行き、許可を受ければ、三日間だけ、流しが出来るのです。

こうして辿り着いたのが、広島県・呉市だったのです。

 ここで『やまびこ座』のメンバーを御紹介すると、座長・市川喜章。大幹部・桂木英二。姿富士夫。桜井鉄之助。毛利勇。市川英二。江戸っ子千恵。ほかに数名居ましたが、今は、記憶が定かではありません。ここで、驚きのニュースです。

やまびこ座の初日狂言が、本日『かぶき村』でやる『晩鐘・兄と妹』です。配役は、兄の清次郎を市川喜章。飲んだくれの三五郎を、私がやっていたのだから驚きです。また、『劇団暁』旗揚げ公演の、初日狂言が、この『晩鐘・兄と妹』でした。

【★てつや、やまびこ座の思い出…。】

 その翌年、『市川喜章劇団』は、四か月間の、福岡公演がありました。そのコースは、九月『甘木温泉センター』。十月『若戸スポール』十一月『久留米リバーサイドパレス』。

十二月『犀川温泉センター』。であった。

私は、小躍りして喜んだ。早速、父ちゃんに電話をした。父ちゃんは喜んでくれました。

親不孝して飛び出した私を、許してくれたのである。私が、役者になっていたのを喜んだのである。

昔、父ちゃんは 『ちゃんぽん組・五九郎座』という『久留米にわか』の一座を持っていたのである。

久留米リバーサイド公演の折は、『暁住宅』の住人、三十名と共に、見に来てくれたものです。

父ちゃんが風呂場で、「今日の芝居はどうだった…」と聞くと、「いやぁ良かった。市川喜章も良かったが、三咲てつやが良かった ばい…」。

その上、「お前が一番よかったぞ…」と言い出す始末で、正に、『親馬鹿かぼちゃ』とは、この事ですネ。私は、犀川温泉でも作詞作曲した曲があります。

それが、この曲。『犀川の夜』です。

一、三月前には、    甘木の町で…、

  昨日久留米で、   見たという…、

風が冷たい     十二月…、 

  人の噂じゃ、    この町に…、

  いるというのを、  聞いてきた…、

  逢って泣きたい、  犀川の夜…。

二、古い家並み、    心に沁みる…、

  旅の一夜を、    温泉の…、

  淡い湯の香に、   身を包む…、

  恵比寿神社の、   みくじ札…、

  祈る思いの、    恋ごころ…、、    

  一目逢いたい、   犀川の夜…。

三、海の風なら、    行橋あたり…、

  川の匂いは、    犀川の…、

  街の明かりが、   灯る頃…、

  泣きたいくらい、  淋しくて…、

  一人歩きの、    裏通り…、

  霧に霞んだ、    犀川の夜…。

【★てつやの五行ポエム…。】

明治の石松と、言っていい程のお人よし…、

あれほど親不孝しても…、

再会すれば、喜ぶ父ちゃん…、

親馬鹿 かほちゃの、親かぼちゃ…、

今は亡き、父ちゃんが大好きだ…。

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