元来、我が『船生かぶき村』は、地元塩谷町を初めとする隣接する東の矢板市・西の旧今市市を中心に顧客を伸ばしてまいりましたが、
地域の文化活動が盛んな鹿沼市も貴重な、顧客を誘致した地域でもありました。それには、こういう訳があったのです。
平成6年11月11日にオープンした翌年の3月、一人の弟子が入門したからでした。その子に注文を付けました。「何か、得意な藝はあるのか…」と、
すると彼は即座に三橋美智也先生の、『女船頭唄』を唄い始めました。それは正に、三橋先生が目の前にいるのかと思うほどの素晴らしいものでした。
いうまでもなく、私は入門を許可しました。その弟子の出身地が鹿沼市だったから、見る見るうちに鹿沼市のお客様を連れて来てくれました。
とりわけ、『季節料理・せせらぎ』『スナック・小紋』『パブリックスナック・六本木』『割烹・きたやま』『居酒屋・駅』『居酒屋・あき』
『居酒屋・津軽』など、数えたら切りがない。さぁ、初心に帰って…、やるぞ『盛り場巡礼』!!!。
私が、昭和46年・27歳で大衆演劇の世界に身を寄せて12年、39歳の時に『劇団暁』を旗揚げ、それから又12年。平成6年11月11日。59歳で、
この地に、常設の劇場『船生かぶき村』を創設するまでの舞台人生を綴った楽屋日記を、『楽屋つれづれ草』として、平成29年4月に発行する事が
出来ました。この本は、元を正せば『平成17年12月9日』。私のエッセイ集の処女作『風のように、水のように、ながれるままに・楽屋つれづれ草』の
復刻版として書いたものです。第二作『桟敷は皆んなの楽天地』、第三作『大衆演劇の灯よいつまでも』を紹介する時、「第一作目は無いのですか」の
多くの皆様方の声に応えて書いたものです。この復刻版には、付録として劇団暁の最新情報も書き加えました。是非とも読んで、下されば有難いです。
『劇団暁』、初代座長・三咲てつや。
『劇団・翔龍』の『春川ふじお』座長は、芝居は勿論、舞踊も達者である。特に目を引くのは『中入り口上』の素晴らしさである。軽妙な語り口、客席全体を目配りお客全員に心が届く、思いやりと心配り。
とても、私には出来ない芸当です。座長の『口上』に、あっばれを差し上げます…。
今日の私は散髪へ、今の理容室。昔の床屋さん。さっぱり気分で『船生かぶき村』に帰ってくると、舞台では『三咲きよ美』の歌声で、梨菜ちゃんが『津軽海峡冬景色』を踊っています。
そのまま二階に上がって、パソコンを開き、『船生日々かわら版』の文字を打ち込む…。
三月公演初の日曜日、好天にも恵まれ、55人の観客が集う一日となりました。
これでも損益分岐点には達していませんがいい時ばかりじゃないのが商いです。辛抱強く頑張らなければなりません。
この『日々かわら版』も、少しでも貢献したいと思っています…。
昨日は、『劇団暁』組が、鬼怒川に出張し、『劇団・翔龍』組は『船生かぶき村』の舞台を務めて下さいました。
そして今日は、高根沢町の『阿久津天満宮』に、両劇団が出張公演で、本日も『かぶき村』は休演となります。明日は、今月初めての日曜日です。
勢揃いの、明日の舞台をお楽しみに…。
初日の舞台を終え、二日目は木曜日で『定休日』。これは、28日だった2月と同じである。初日の次の日が休みというのは『劇団・翔龍』さんにとっても異例なことでしょう。
ゆっくり身体を休めて、金曜日からの舞台を頑張られるはずです。さぁ、今日は仕切り直しの『帰り初日』ですね…。
東京大衆演劇教会には、先代の篠原浅五郎会長の時代から所属していた劇団と、現会長の篠原淑浩の代からの『東京大衆演劇協会』が、ありますが、この『劇団翔龍』さんは、先代の
頃から所属する純粋の東京大衆演劇協会所属の劇団です。伝統と格式を誇る劇団ですから、それだけに、楽しみも増してきます…。