船生かぶき村 かわら版 令和5年4月7日

【★船生かぶき村時代・初期。】

 『劇団暁』が平成六年十一月。オープンした時のスタッフは『芸能部』が、座長の三咲てつや。

副座長の『ふぶき梨花』。さつき・めぐみ・和美。夏樹・春樹。きよ美の八人。表周りのスタッフが、厨房に、ふぶき梨花。梨花さんの従妹の伊藤洋子。梨花さんの妹『木下恵美子』。ドライバーは、梨花さんの叔父様『関谷五郎』。伊藤洋子の兄『伊藤義博』。梨花さんの妹の亭主。『木下仁』。考えてみれば、スタッフは、全員梨花さんの、親戚の方ばかりでした。

付け加えて言うと、さつき・めぐみ・和美・きよ美女性組の弟子も、厨房に入って手伝ってくれました。

 面白い話があります。

船生かぶき村がスタートして間もなく、私は、ふぶき梨花さんと遠縁だか、親戚なのだと、いう人が現れて、私が梨花さんに聞くと、「いや、知らない人だ…」言っていたことが、懐かしく、思い出されます。

平成六年十一月から五ケ月後、平成七年三月。

有難い話が舞い込んできました。それは、高根沢町の『阿久津天満宮』に於いて、『劇団暁』の芝居と舞踊を奉納してくれという話であった。しかも、出演料は法外のン十万円というから、正しく有難い話である。

この話は、近頃の『コロナ騒動』が起きるまで、廿年以上続き、感謝感謝のイベントでした。

また、良い話は重なるもので、その年の六月。あの、湯西川温泉の『平家の里』で開催される『平家大祭』への出演依頼があり、これも、十五年以上続いたイベントであった。

この話を持ち込んで下さったのは、春ちゃんを小学校の卒業式に出席するために北海道に迎えに行って下さった。『藤門軌道会長』の、『藤門久様』でした。

正に、感謝に絶えない思い出です…。

【★三咲てつやと六人の弟子。】

 私に、六人の弟子がいる事は、周知の通りですが、夏ちゃん・春ちゃんが弟子入りするまでは一番年下の和美ちゃんを可愛がっていました。

 しかし、九歳の夏樹君・六歳の春樹君が弟子入りしてからは、和美ちゃんより年下の、夏ちゃん・春ちゃんに、可愛がる対象が移りました。

 平成元年一月八日に他界した『父さんの初盆をする為に、福岡公演を選んだ私は、『香椎健康ランド』で出逢った夏樹と春樹。しっかり者の夏樹君はまだしも弟の春樹君は、泣き虫で甘えん坊でした。

当時、大人気を博していた『暴れん坊将軍』になぞらえて、私は、春樹君の事を『甘えん坊将軍』と呼んでいました。二人のデビューは、宇都宮市の『かまぶろ温泉』でしたが、夏樹君は、五木ひろしの『旅烏』で、春樹君は、橋幸夫の『沓掛時次郎』でした。夏樹君はすでに『香椎健康ランド』で踊りを教えていたので、すんなり踊れましたが、春樹君には個人舞踊は無理だと思って、私が、背負って踊りました。二人の衣装は『かまぶろ』の浴衣を着て踊ったという、涙ぐましいデビューでした。デビューの前日。その稽古風景が面白い、春樹君の『甘えん坊将軍』ぶりが発揮されました。

チョッと稽古しては、「喉が渇いた。ジュース呑みたい」暫くして、「喉が渇いた。アイスクリームが食べたい…」。という始末。これには、私も、妻も、大笑いでした。果たして、春ちゃんは覚えているだろうか。あの甘えん坊将軍が、今を時めく『劇団暁』の看板役者とは、驚き、桃ノ木、山椒の木ですよネ。

夏樹・春樹は私の宝、

さつき・めぐみ・和美・きよ美も宝です。

孫弟子の、暁人、隼人、龍人、舞花、鷹人も宝、

愛羅、良羅、憧も宝、

こんなに多くの宝が居て、私は幸せ…。

【★てつやの五行ポエム…。

今は、小さな苗木でも…、

大きくなぁれ、大きくなぁれ…、

真っ直ぐ育つ檜の様に…、

あすなろ、あすなろ…、

天まで伸びる、檜の様に…。

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