船生かぶき村 かわら版 令和5年3月12日
【★船生かぶ村に話題有り…。】
『船生かぶき村を愛した故人列・②』
関東ホンタ社長・大島照光の巻。
船生かぶきの創生期にあたって、真剣に奔走して下さったのが、矢板の『関東ホンタ』の社長『大島照光』様であった。船生かぶき村のオープン当初は、来る日も、来る日も、客の居ない、悲惨な状況であった。
そんな状況を知った社長は、忘年会、新年会を企画して、『町内会』『親睦会』『長峰会』『矢板自動車学校』 による、様々のグループによる宴会を開催して下さり、不入りで苦しんでいた『かぶき村』を助けて頂いたものです。
【★東日本大震災から十二年…。】
『三月十一日』は、十二年前の『東日本大震災』から十二年も、過ぎたのかと思い出させた日です。
あの日、亡くなられた人にとっては、もう、十三回忌になるのですね。
【★石巻市と縁の深い、劇団暁…。】
実をいうと、被災地の一つ『石巻市』の『石巻市簡保の宿』は、単発ではあるが、
十回ほど、公演した事があります。
興行師『佐藤企画の佐藤清八社長』様、漁師の『菊池勝大』様とは、今でも交流が続いています。公演が終わると、蟹・海老・ほたてなど、これ以上喰えないぐらい御馳走してくれて、帰りは、山ほどの魚貝類を、土産に持たせて頂き菊池さんは、今でも四季折々に、蟹やアワビ昆布やシラスを、送って頂いております。
また、震災の一年後、石巻高校の体育館で、芝居をやり、二年後には、アウトレットで、歌謡ショーでの慰問をやりました。
風の噂では、菊池勝大さんが、ご当地歌手としてデビューしたと聞きました…。
【★てつや、石井友喜を語る…。】
作詞作曲・三咲てつや。
唄・石井 友喜。
三咲暁人の歌『 わんぱく座長』
一、門前の小僧
習わぬ経を読む じゃないけれど…、
見よう 見真似の 手踊りで…、
わんぱく座長の お出ましだい…、
二、おたまじゃくしは 蛙の子…、
僕は、やっばり 役者の子…、
見得を切ろうか あぐらを組んで…、
知らざぁ言って 聞かせやしょう…、
弁天小僧の 極め付け…。
三、二つ 三つの 年頃で…、
すでに覚えた 名ゼリフ…、
清水港の 名物男
馬鹿は死ななきゃ 治らねえ…、
森の石松ぁ 得意だよ…。
四、華の舞踊の 幕が開きゃ…、
粋な流し目 素敵だよ…、
キューティーハニーの リズムに乗せて…、
やけにはまった 女形…、
三咲暁人の 晴れ舞台…。
『解説』 この曲も、私が作詞作曲したものです。
新潟県西蒲原郡・田ノ浦海岸の、『海華亭かわい』で、作曲したものです。
私は一ヶ月公演で十曲以上の作品を作った記憶があります。
『初舞台』『木曽節半次郎』『笑民浮かれ節』
『下野ふれ愛劇場』『晴れ姿役者娘』
『役者道』『暁人のわんぱく座長』
『さつきの芸は一筋』等があります。
『海華亭かわい』は、十五年連続で公演した、思い出の巡業地です…。
【★てつやの五行ポエム…。】
東日本大震災から十二年…、
思えば、大勢の犠牲者を出した…、
未だに見つからぬ、犠牲者の遺骨と遺品…、
今も、捜索する人々…、
十二年経っても、悲しみは癒えない…。