船生かぶき村 かわら版 令和5年3月5日
【★かぶき村に話題有り…。】
『企画・八十八ケ所、芝居巡礼について…。』
平成、六年十一月十一日にオープンした。船生かぶき村は、昨年の十一月十一日で、創立以来、
丸二十八年を迎えました。人口一万人を、僅かに超える町と呼ぶのも恥ずかしい『塩谷町』です。
しかも、首都圏からのアクセスが悪い、この悪条件の中で、二十八年以上も続けて来られたのは、並大抵の事ではありませんでした。
あれやこれやのアイデアを駆使して、顧客動員を図ってきました。その一つがこの『栃木八十八ケ所・芝居巡礼』でした。
記念すべき、第一回巡礼の座長は「ふぶき梨花」で、彼女の出身地矢板の『矢板市文化会館』でした。
ふぶき梨花『里帰り公演』と銘打った企画が当たり大入り満員の盛況でした。ふぶき梨花は、今は亡き
父の『関谷克己』に向かって、「父ちゃん、リツ子元気に頑張っているよ…」と、天に向かって声を上げていました…、
ふぶき梨花。若かりし頃の一ページです…。
【★楽屋つれづれ草…。】
日毎に春めく今日此の頃。それでも今はまだ二月。
三寒四温の日々は続く。ホンとの春はまだ遠く、九州育ちの私には、チョッと厳しい季節です。
それでも『船生かぶき村』は、舞台も客席も暖かい。
劇団さんの舞台は熱く、負けるものかと私の、長編歌謡浪曲の唄声も熱い。
拍手喝采の、客席はもっと熱い。
寒い時こそ、桟敷は皆んなの楽天地だ…。
【★五行ポエム…。】
駆け落ち同様に、故郷を離れたふぶき梨花…
必ず故郷に錦を飾ると言う。三咲てつや…、
夫婦が築いた『船生かぶき村』…、
夢を叶えた、てつやと梨花…、
天国の父は何思う…。
【★てつや、石井友喜を語る…。】
『劇団暁、東日本大震災の被災地・石巻市慰問』
東日本大震災の一年後、私達は三年ほどお世話になった「かんぽの宿、石巻」を慰問した。
一年後には石巻高校の体育館へ、私達は明るい芝居が良いと思い、『芸者の意気地』を選んで、笑いの渦に包み込んだ。二年後には石巻のアウトレットで『石井友喜歌謡ショー』を開催。それを聞いた
『佐藤企画』の社長が言った。
これは上手い、背筋から寒気がしたと驚いた様子でした。宮城と言えば民謡の宝庫と言われるほど
民謡が盛んな所です。という事は、石井友喜の唄声が素晴らしたったという事になります…。
『立川談志師匠編・⑥』
平成二十二年の十二月、例の、浅草公会堂の座長大会の時でした。談志師匠が、そして、ひょっこり楽屋見舞いに来て下さいました。『三咲さん。来週の『週刊現代』に、三咲さんの事を書いたから
読んでくれ」と言うのである。
「俺は、歌舞伎役者が嫌いだ。国の支援で立派な劇場かも知らんが、世襲でやっている。俺が贔屓に
している三咲てつやさんは、素人から大衆演劇に入門して、小さいながらも自費で芝居茶屋を建てた
その生き様こそ俺は好きだ…」と、書いてありました。
楽屋見舞いを置いて、芝居も見ずに裏口から淋しそうに帰って行かれました…。
『立川談志師匠編・⑦』
平成二十七年十二月十日。
この年の十二月。劇団暁は『浅草木馬館』公演です。
木馬館の下手にある音調室の、更に下手に鰻の寝床のような処に、私の楽屋がある。
その時も、例の『浅草木馬館・かわら版』を書いていて、うとうとと眠りに入っていた。
その時、五年前に亡くなった『談志師匠』が客席で劇団暁の舞台を観ている夢を見ました。
夢って良いですね。
死んだはずの『談志師匠』と会えるのですから、そう言えば、平成元年に亡くなった父ちゃんの夢も
見ます。その昔、『夢で逢いましょう』という番組がありましたネ。本当に、夢って素晴らしいです。
夢よ、有難う、有難う、有難う…。