船生かぶき村 かわら版 令和5年3月4日
【★かぶき村に話題有り…。】
『ウクライナ難民の皆様を船生かぶき村に迎えて…』
船生かぶき村では、令和四年十二月三日(土曜日)。ウクライナ難民の皆様を御招待して、第一部・芝居と第二部・舞踊ショーを見て頂きました。
その後、アトラクションとして、三咲さつきが母親で、娘役の三咲和美が『東京だよ おっ母さん』を踊り、今度は娘役を、ウクライナの方に演じて貰う事に致しました。
驚いた事に、ウクライナの人たち十人以上が舞台に上がったのです。
おっ母さん一人に娘が大勢という珍現象はウクライナの皆様が楽しんだのだと思います。
用意したプログラムが終了。私が「これで終演です。さようなら…」と言っても、皆さんは、帰りたくない様子で、「まだ、居たい…」と言っていました。
それだけ、楽しかったのだと思います。
難民の皆様を御慰め出来て、私達も嬉しい…。
【★楽屋 つれづれ草…。
今、三月四日、午前零時四十五分。
現在、三月四日の『船生かぶき村・かわら版』の執筆中です。昨日はなんだかんだと忙しく、
本日、この『かわら版』お配りするために パソコンに向かって追い込んでいます。
一日も欠かさず『かわら版』をお届けするとの約束は絶対守ります。
どんなに疲れても、どんなに眠くても、約束は約束です。『かわら版』を書く事は私の使命
約束を守ることも私の使命です…。
【★てつやの五行ポエム…。】
フレンドリー、バスツアーの名の下に…、
ウクライナの皆さんをお迎えして、
二代目座長母娘、さつき、めぐみ、和美、
女将、私の接待は続く、ウクライナの皆さん
の、喜ぶ姿に安堵する…。
【★三咲てつや、石井友喜を語る…。】
私の作詞作曲作品、『初舞台』の思い出。
この曲は、ふぶき梨花が役者になって 私と一緒に北海道に行きたいと告白した時の
情景を描いた作品です。この曲の、二番の歌詞に「母は涙で頬濡らす…、あえて無言の父の顔…、」と、
ありますが、此の時の、ふぶき花は余程の覚悟で切り出したものと思います。その情景を、見事に表現したのが、『石井友喜』でした。私の作詞作曲作品の中で、『怒涛舟』と『初舞台』の二曲は
最高傑作と言えるものです…。
【★思い出の一筆…。】
『立川談志師匠編・④に 船生かぶき村に御預りした、弟子の中で現在まで付き合っている人がいます。
当時の、志櫻さん。現在は『志遊』の名前で真打として活躍している。面白い話があります。
彼が、前座から、二つ目に昇進した時の話です。
今でも、忘れられない話です。
『談志師匠』が言った言葉ですぞ…。志遊が本日、二つ目に昇進出来たのは、ここにいる
三咲てつやさんのお陰です。さしたる指導も出来なかった私を、そこまで評価して下さったのかと、信じられない思いです。
有難う『志遊』師匠。有難う『談志師匠』…。
『立川談志師匠編・⑤』
談志師匠といえば、えてして破天荒で、自由奔放に生きているように言われていますが、
ところがドッコイ、実は、とても繊細で、心配りの優しい方と見ています。
例えていうと、こうである。談志師匠に誘われて訪ねた時の事です。丁度、テレビの撮影中で、
私は遠慮して、遠くで見ていると、それを目ざとく見つけた談志師匠が、「何も遠慮することはないよ。三咲さんは、友達 なんだから…」と笑いながら手招きをして下さいました。当時私は、武田信玄に憧れて、頭は坊主頭、もみあげから顎にかけて髭を伸ばしていました。それでも私だと分かった談志師匠。
本当に有難い思い出です…。