てつやの秘蔵DVD 2017/03/04
【Eテレ日曜美術館より】 『喜多川歌麿』
これまで『日曜美術館』で紹介したのは、3月1日、『葛飾北斎』3月3日、『相田みつを』の二人でしたが、
3月4日は、『喜多川歌麿』を紹介致します。
私が学生の頃は、浮世絵師と言えば『葛飾北斎』『喜多川歌麿』『安藤広重』の三大浮世絵師を思い出します。
私自身は『富嶽三十六景』の、葛飾北斎が一番好きでしたが、役者になった現在では、
遊郭や、花魁、芸者・女郎など表現する様になって『喜多川歌麿』の方に目が行くようになりました。
一時は、浮世絵師として頂点を極めた『歌麿』は、『松平定信』による『寛政の改革』により、不遇の時代を迎えました。
それは、武士を頂点とする支配体制を立て直すため、厳しい風俗統制が図られたからである。
腕が振るえなくなった『歌麿』は、栃木に向かったと推定されます。
当時の栃木は水運によって栄えた商業都市で、栃木の豪商、『善野喜兵衛』に迎えられ、高さ5m、幅3mに及ぶ大作
『品川の月』『吉原の花』『深川の雪』の三部作を書き上げました。
さらに描く対象を広げます。
両国のせんべい屋の娘『富本豊ひな』浅草の水茶屋の評判娘『難波屋きた』『高島屋ひさ』など
『町娘三美人』と題して、娘の名前入りの絵を発行しました。
それが幕府の逆鱗に触れ、歌麿は、文化元年(1804)年。ついに手鎖50日の刑に処せられました。
当時の絵師仲間による誹謗中傷によったものだとされている。
〜隣の家に蔵が立てば腹が立つ〜と、いう事は今も昔も変わりがないようです。それにしても栃木の人が『歌麿』を助けたとは嬉しいですね…。