劇団暁 ヒストリー 2017/03/06

【三咲てつや著・楽屋つれづれ草より。】

 三咲てつやが書いたエッセイ集三部作は、平成17年12月9日発行の、『楽屋つれづれ草』処女作がスタートでした。

その執筆に取り掛かったのが、忘れもしない2005年7月8日『金曜日』。

札幌市南区『定山渓温泉』の『ホテル山渓苑』の寮でした。

時は午前6時頃、外は、三日ほど続いた雨はあがっているが、窓を開けると冷たい風が肌を刺し、くしゃみをしながら書いた覚えがある。

微かに聞こえる程度のボリュームのテレビに、昨日、イギリスのロンドンで起こった同時多発テロのニュースが流れていました。

一段落ついて時計を見ると、朝の7時36分。

寮の3号室は、6畳と8畳と10畳ほどのフローリングで出来ていて、私はフローリングでこの『楽屋つれづれ草』を書いています…。

本日の一筆 2017/03/06

『船生かぶき村』に於いて、東京大衆演劇協会の劇団が来て頂く様になって5年程になりますが、

今回の『劇団・翔龍』さんは、際立って、評判が良いのが嬉しい。

『劇団・翔龍』の舞台が始まって1週間も経っていないのだから、これから先が長いのだ。

この先が益々楽しみな後半戦です。

劇団さんが、こんなに頑張ってくれるのに、私も指をくわえて見ていても申し訳ありません。

何か面白い企画を立ててテコ入れするつもりです…。

てつやの五行ポエム 2017/03/05

江戸中期、九代将軍家重・十代将軍家治の頃…、

              摂津の国に、生まれた蕪村…、

                     芭蕉を慕って、俳諧師となり…、

                            丸山応挙、伊藤若冲・池大雅と並ぶ絵師となり…、

                                            旅は道連れ、さすらう文人…。

てつやの秘蔵DVD 2017/03/05

【Eテレ日曜美術館より】 『与謝野蕪村』

 俳人であり、画人でもある『与謝野蕪村』は、

1716。摂津の国・毛馬村(現在の大阪市都島区毛馬町)に生まれる。

1737年.江戸に下り、俳人『夜半亭宋阿』の内弟子となる。

1743年。この頃、芭蕉の足跡を訪ねて東北行脚に出かける。

1744年.宇都宮で『歳旦帖』を刊行。『蕪村』の号を使う。

1751年。この頃、京都・丹後を行き来する。

1785年。12月25日未明に没す。『享年68歳』

〜菜の花や 月は東に 日は西に〜

〜うぐいすの 啼くや小さき 口あいて〜

〜名月や、夜に成りゆく 秋の暮れ〜

〜夏川を、越す嬉しさよ、手に草鞋〜

〜春風や 堤長うて 家遠し〜

〜朝顔や 一輪(りん)深き 淵の色〜

〜身に染むや 亡き妻の櫛を 寝屋に踏む〜

〜春の海 ひねもす(終日)のたり のたりかな〜

上記の句は、蕪村の俳句の代表的な句を紹介したものです。先達者『松尾芭蕉』を尊敬する蕪村は、江戸から北へ奥の細道を辿りました。

蕪村は元来、俳人として名高いのですが、実は文人としての蕪村より、画家としての力量が素晴らしいのです。

私としては、俳句が趣味で、絵画の方が本職でないかと思うほどです。

俳諧師の心を持った絵師。それが『蕪村』です。

〜狩衣の 袖の裏這う 蛍かな〜

〜みじか夜は 枕に近き 銀屏風〜

〜山暮れて 紅葉の朱を 奪いけり〜

本日の一筆 2017/03/05

今日は、今までの『船生かぶき村かわら版』は、縦書きだったのに、

この『日々かわら版』から、横書きになった事について、ご説明しなければなりません。

今月の中頃からから『インターネット』にアップする事になり、インターネットの『ホームページ』では、

から下への、スクロールを取り入れる事になったからです。

読者の皆様には、読み難いと思いますが、間もなく始まるホームページを楽しみにして下さいね…。

てつやの五行ポエム 2017/03/04

幕府の、逆鱗に触れ…、

     反逆者として、処刑された歌麿…、

             私は知らなかった、日曜美術館を見るまでは…、

                      あぁ、あの『歌麿』が、処刑されていたとは…、

                                  新発見の、、『日曜美術館』…。

てつやの秘蔵DVD 2017/03/04 

【Eテレ日曜美術館より】 『喜多川歌麿』

 これまで『日曜美術館』で紹介したのは、3月1日、『葛飾北斎』3月3日、『相田みつを』の二人でしたが、

3月4日は、『喜多川歌麿』を紹介致します。

私が学生の頃は、浮世絵師と言えば『葛飾北斎』『喜多川歌麿』『安藤広重』の三大浮世絵師を思い出します。

私自身は『富嶽三十六景』の、葛飾北斎が一番好きでしたが、役者になった現在では、

遊郭や、花魁、芸者・女郎など表現する様になって『喜多川歌麿』の方に目が行くようになりました。

一時は、浮世絵師として頂点を極めた『歌麿』は、『松平定信』による『寛政の改革』により、不遇の時代を迎えました。

それは、武士を頂点とする支配体制を立て直すため、厳しい風俗統制が図られたからである。

腕が振るえなくなった『歌麿』は、栃木に向かったと推定されます。

当時の栃木は水運によって栄えた商業都市で、栃木の豪商、『善野喜兵衛』に迎えられ、高さ5m、幅3mに及ぶ大作

『品川の月』『吉原の花』『深川の雪』の三部作を書き上げました。

さらに描く対象を広げます。

両国のせんべい屋の娘『富本豊ひな』浅草の水茶屋の評判娘『難波屋きた』『高島屋ひさ』など

『町娘三美人』と題して、娘の名前入りの絵を発行しました。

それが幕府の逆鱗に触れ、歌麿は、文化元年(1804)年。ついに手鎖50日の刑に処せられました。

当時の絵師仲間による誹謗中傷によったものだとされている。

〜隣の家に蔵が立てば腹が立つ〜と、いう事は今も昔も変わりがないようです。それにしても栃木の人が『歌麿』を助けたとは嬉しいですね…。

本日の一筆 2017/03/04

昨日の、『劇団暁』組は、三咲きよ美を責任者に、私・『三咲てつや』と、『三咲神菜』『三咲梨菜』『三咲レオ』の五人が,

鬼怒川の『ディサービス・うえの荘』に出演致しました。

『うえの荘』さんは、以前、うえの荘の娘さんが、三咲神菜と一緒に入団した『三咲葉月』の実家です。

当時、『神菜』『葉月』のコンビで頑張ってくれたものです。今日は久しぶりに、

葉月ちゃんの親と再開しする事ができ、懐かしくも、楽しい舞台を務めました…。

てつやの五行ポエム 2017/03/03

雨の日は、雨に打たれて…、

            風の日は、風に吹かれて…、

                        天気の良い日は、陽差しを浴びて…、

                                         七十三年の、日を重ね…、

                                                     歩き続けた、幾星霜…。

てつやの秘蔵DVD 2017/03/03

【Eテレ日曜美術館より】 『相田みつを編』

 大正十三年、栃木県足利市に生まれる。『書家で詩人』。

自分で思い描いた言葉を、自分独自の書で伝える。そして、誰にでも解る言葉で綴る事に徹して描くのを、モットーに表した庶民派書道家である。

彼の言葉に勇気づけられた人は数知れない。

幼い頃から短歌や書に夢中になり、十九歳の時に地元の書家に入門する。

二十三歳で、中国の『鄭文公費』を写譜。先人が残した言葉を、先人が残した書で、見事に書き納めたのである。

最高峰と言われる書展で、何度も入選。しかし彼は疑問を感じ始めました。そして皆んなが知っている、あの丸っこい書体が生まれたのである。

『つまずいたっていいじゃないか、人間だもの…』

『弱きもの人間。欲深きもの人間。偽り多きもの人間。そして人間の私…』

『いい事はおかげさま。悪い事は身から出た錆…』

『うばいあえば足らぬ、わけあえば余る。うばいあえば憎しみ、わけあえば安らぎ…』

『やれなかった、やらなかった、どっちかな…』

『生きているうち、働けるうち、日の暮れぬうち…』

『嘘は言わない、心に決めて嘘を言う…』

『自己顕示、自己嫌悪、私の心の裏表…』

どの言葉も、相田みつを自身の心の襞(ひだ)を表している。そして、私達皆んなが悩んでいるに違いない。仏の道にも通じる言葉に思えます。

NHKEテレの『日曜美術館』を見ていると、自分自身の凡庸さを痛感されます。自分自身が嫌になります。それでも見たい『日曜美術館』。

七十三歳、『三咲てつや』の昨日今日…。