てつやの、秘蔵DVD 2017/03/01

【Eテレ日曜美術館より】 『葛飾北斎編』

 私は、江戸時代の絵師の中で、イの一番に名前を挙げよと言えば、『葛飾北斎』の名が浮かびます。

『北斎』といえば、あの有名な『富嶽三十六景』を描いたのが、七十歳を超えてからの作品と言います。更に、グラフィックアートの傑作『富嶽

百景」を世に出したのは、なんと七十五歳だったというから驚きです。この『富嶽百景』を出した時から亡くなるまで、『画狂老人卍』という画号を

使ったと言われています。そして八十代になると毎朝の日課として獅子の絵を描きました。長寿を願い『日新除魔』として魔除けを念じました。

北斎曰く、「七十歳までに描いたものなど、とるに足らないものばかりだ。七十三歳、生き物の骨格や草木の成り立ちを、やっと掴んだ。八十歳に

なったら益々進歩し、九十歳では奥義を極め、百歳になったら、正に神技の域に至るであろう。

そして、百十歳になったら、絵の一点一画まで生きているように見えるだろう…」と。

この時から、『生涯現役』を念じていたのであろう。

しかし、『天保の飢饉』が、北斎の画風を変えるのです。高価な北斎の絵は売れなくなり、北斎は八十代半ばにして新天地を求め、江戸から240K

離れた信州の小布施に旅に出ました。その旅立ちに一句を呼んだ北斎。「八の字の、踏ん張り強し夏の富士…」。九十に近い北斎は生涯に渡って

四回も小布施に通ったというから驚きです。

現在、73歳の私でも10Kも歩けばくたくたなの85歳を過ぎた浮世絵師が、240Kだなんて信じられません。今でも小布施の北斎館には、北斎が

描いた山車の天井絵が何点も残っていると言う…。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA