船生かぶき村 かわら版 令和5年3月12日

【★船生かぶ村に話題有り…。】

『船生かぶき村を愛した故人列・②』

関東ホンタ社長・大島照光の巻。

 船生かぶきの創生期にあたって、真剣に奔走して下さったのが、矢板の『関東ホンタ』の社長『大島照光』様であった。船生かぶき村のオープン当初は、来る日も、来る日も、客の居ない、悲惨な状況であった。

そんな状況を知った社長は、忘年会、新年会を企画して、『町内会』『親睦会』『長峰会』『矢板自動車学校』 による、様々のグループによる宴会を開催して下さり、不入りで苦しんでいた『かぶき村』を助けて頂いたものです。

【★東日本大震災から十二年…。】

『三月十一日』は、十二年前の『東日本大震災』から十二年も、過ぎたのかと思い出させた日です。

あの日、亡くなられた人にとっては、もう、十三回忌になるのですね。

【★石巻市と縁の深い、劇団暁…。】

 実をいうと、被災地の一つ『石巻市』の『石巻市簡保の宿』は、単発ではあるが、

十回ほど、公演した事があります。

興行師『佐藤企画の佐藤清八社長』様、漁師の『菊池勝大』様とは、今でも交流が続いています。公演が終わると、蟹・海老・ほたてなど、これ以上喰えないぐらい御馳走してくれて、帰りは、山ほどの魚貝類を、土産に持たせて頂き菊池さんは、今でも四季折々に、蟹やアワビ昆布やシラスを、送って頂いております。

また、震災の一年後、石巻高校の体育館で、芝居をやり、二年後には、アウトレットで、歌謡ショーでの慰問をやりました。

風の噂では、菊池勝大さんが、ご当地歌手としてデビューしたと聞きました…。

【★てつや、石井友喜を語る…。】

         作詞作曲・三咲てつや。

            唄・石井 友喜。

  三咲暁人の歌『 わんぱく座長』

一、門前の小僧

  習わぬ経を読む     じゃないけれど…、

  見よう 見真似の    手踊りで…、

  わんぱく座長の     お出ましだい…、

二、おたまじゃくしは    蛙の子…、

  僕は、やっばり     役者の子…、

  見得を切ろうか     あぐらを組んで…、

  知らざぁ言って     聞かせやしょう…、

  弁天小僧の       極め付け…。

三、二つ 三つの      年頃で…、

  すでに覚えた      名ゼリフ…、

  清水港の        名物男

  馬鹿は死ななきゃ    治らねえ…、

  森の石松ぁ       得意だよ…。

  四、華の舞踊の       幕が開きゃ…、

    粋な流し目        素敵だよ…、

    キューティーハニーの リズムに乗せて…、

    やけにはまった    女形…、

    三咲暁人の      晴れ舞台…。

  『解説』 この曲も、私が作詞作曲したものです。

      新潟県西蒲原郡・田ノ浦海岸の、『海華亭かわい』で、作曲したものです。

     私は一ヶ月公演で十曲以上の作品を作った記憶があります。

     『初舞台』『木曽節半次郎』『笑民浮かれ節』

     『下野ふれ愛劇場』『晴れ姿役者娘』

     『役者道』『暁人のわんぱく座長』

     『さつきの芸は一筋』等があります。

     『海華亭かわい』は、十五年連続で公演した、思い出の巡業地です…。

 【★てつやの五行ポエム…。】

   東日本大震災から十二年…、

   思えば、大勢の犠牲者を出した…、

   未だに見つからぬ、犠牲者の遺骨と遺品…、

   今も、捜索する人々…、

   十二年経っても、悲しみは癒えない…。

船生かぶき村 かわら版 令和5年3月11日

【★かぶき村に話題有り…。】

『船生かぶき村を、愛した故人列伝』

  • 関谷克己の巻。

船生かぶき村を愛した人と言えば、イの一番上げなければならないのは、やはり、この人です。つまり、ふぶき梨花の父である。かぶき村建設の一年前。私と妻は二人で、その計画を、父に話しました。

父は、ジッと目を閉じて、「これで船生も栄えるな。ま、頑張りなさい…」と、励ましてくれました。

そして、先に出来上がっていた自宅の鍵を渡し、建築の進捗状況を見て下さいと頼みました。

父は喜んで、毎日の様に矢板から船生まで確認のため出向いたそうです。その父が、かぶき村オープン二か月前に、交通事故で亡くなるとは、私も妻も、余りの悲劇に人の世の儚さに涙しました。しかし、一番、無念だったのは、義父の関谷克己だったに違いありません…。

【★楽屋つれづれ草…。】

 私が毎日書いている。『てつやの五行ポエム』は、その時の思いを書くのですが、たった五行で表すのは、結構、難しいものです。でも。もっと短いポエムがあります。それは『五七五』で表す俳句がそうです。しかも、必ず季語を入れる必要があります。

「痩せ蛙、負けるな、一茶、ここにあり…」とある川柳は滑稽味があって、 

心和むポエムですネ…。

【★てつやの五行ポエム…。】

平成二十三年八月…、

『東海健康センター』の客席に…、

『さぁさ、皆んなで踊りやぁよ』の唄が弾む…、

三橋を、春日を、ひばりを、はるみを、

見事に、唄い上げた石井友喜…。

【★てつや、石井友喜を語る…。】

     作詞作曲・三咲てつや。

            唄・石井 友喜。

『東海センターは楽天地』

一、さぁさ、皆んなで      踊りやぁよ…、

  爺ちゃんも婆ちゃんも

  兄ちゃんも姉ちゃんも    踊りやぁよ…、

  輪になって手を打って    踊りやぁよ…、

  東海センターは      皆んなの舞台…、

  さぁさ、皆んなで      踊りやぁよ…、

  こころ寿          晴れ舞台…。

二、さぁさ、皆んなで      唄やぁよ…、、

  三橋を、春日を 

  ひばりを はるみを     唄やぁよ…、

  カラオケ三昧        唄やぁよ…、

  東海センターは      皆んなの広場…

  さぁさ、皆んなで      唄やぁよ…、

  踊りカラオケ        花盛り…。

三、さぁさ、皆んなで      遊びやぁよ…、

  酒飲んで 飯食って

  ゲームして、ビンゴして   遊びやぁよ…、

  風呂入って、マッサージして 遊びやぁよ…、

  東海センターは     皆んなの世界…、

  さぁさ、皆んなで      遊びやぁよ…、

  ホンにこの世の       極楽じゃい…。

『解説』 この曲は、平成二十三年八月。 

 愛知県名古屋市天白区の東海健康センター公演の時、私が作詞作曲した『東海センターは楽天』という曲です。それを『石井友喜』が、見事に唄い上げ、大好評を得たものです。

 東海センターの社長のお気に入りで、 今後、十年間、八月には『劇団暁』でやってもらうと言われましたが、さすがに私は苦笑いするしかありませんでした、十年連続公演は有難いが、元来、劇団の巡業は、毎年、毎年、その年の年間計画を立て、巡業するもので、一つの『センター』で興行するのは無理な話です。という事で、丁寧にお断りしたものでした…。

船生かぶき村 かわら版 令和5年3月10日

【★長命万歳、かぶき村…。】

 現在。巷(ちまた)で、オレオレ詐欺、アポ電詐欺、強盗殺人、強盗傷害など、老人をターゲットにした、暴行事件が横行しています。ひどいですネ。七十五歳以上の高齢者は、戦前・戦中・戦後に掛けて、戦後の復興に貢献した人ばかりです

そんな人の、財産を狙ったり、命を奪ったりとか、とても容認できなぃ事件です。 そんな犯罪者に解って頂きたいのです。

私も、昭和十八年十二月九日に生まれた高齢者です。昔の様に、弱き者を 助け、高齢者を敬い、隣人を愛する、日本人の心を取り戻して頂きたいものです。『船生かぶき村』では、『大衆演劇』を通じて、親子愛、兄弟愛、夫婦愛、いたわり愛を表現していきたいと思っています…。

【★追悼、船村徹先生…。③】

『船村徹先生。遂に、船生かぶき村に来る…。』

 先生の奥様『福田佳子』さん。先生の息子『蔦将包(まさかね)』さんが『かぶき村』に、来て頂いたのも懐かしい思い出です。

その日の『舞踊ショー』は、船村先生の特集を組んで、私は、村田英雄先生の『王将』を唄い、ふぶき梨花は『みだれ髪』『ひばり佐渡情話』や、『のぞみ』を唄い、さつきと和美は島倉千代子の『東京だよ おっ母さん』を踊り。

三咲きよ美と三咲和美で、『別れの一本杉』を踊りました。きよ美と湊めぐみは、木下龍太郎作詞、船村徹作曲の『祭り唄』を踊る。

夏樹座長が『風雪流れ旅』を、春樹座長は、『なみだ船』を踊り、

そしてフィナーレに男性陣が『ダイナマイトは百五十トン』を踊り、華やかな特別ショーとなりました。

思い出すままに、曲目を並べましたが、

  実際のプログラムとは、順番が異なっています…。

【★てつや、石井友喜を語る…。】

     作詞作曲三咲てつや。

        唄・石井友喜。

『役者道』。

一、ひとつ敗れは   又、のしかかる…、

  修業一筋     芸の壁…、

  坂は七坂     人生賭けた…、

  あぁ、      人情芝居…

道は茨の     役者道…。

二、月の雫の     やさしい夜は…、

  やけに恋しい   屋台酒…、

  なぜか気の合う  兄弟弟子と…、

  あぁ、      芸道談義…、

語り合うのも   役者道…。

三、襟は白襟     紋付き袴…、

  花は桜木     人は武士…、

  赤穂浪士に    昔を偲ぶ…、

  あぁ、      日本の心…、

  解いて見せるも  役者道…。

『解説』この曲は、弟子の『飛竜貴』をモデルに書いた詩に曲を付け、『石井先生』に唄って頂いたものです。

彼は『芝居』に対して、もの凄く ストイックな男でした。

    私の弟子はすべて『三咲』を、名乗っていますが、『飛竜貴』という芸名は、 以前、参議院議員の『コロンビアトップ』先生が、名付け親でしたので、れを尊敬して飛竜貴にしました。

この飛竜貴には、凄いエピソードがあります。あの国民的ドラマ『水戸黄門』に、出演した事があります。 里見浩太朗先生の、第五代『水戸黄門』第一部で、飛竜貴が出演したのです

また、NHKkの連続ドラマ『愛おしくて』に出演。その共演者が、また凄いです、田中麗奈・吉田栄作・秋吉久美子・石倉三郎・丘みつ子・小林稔侍。南果歩等の、豪華な出演者で、主題歌を『島谷ひとみ』が唄っています。

    平成二十八年一月の出来事でした…。

船生かぶき村 かわら版 令和5年3月8日

【★かぶき村に話題有り…。】

『栃木八十八・ケ所・芝居巡礼・』

 船生かぶき村、創立十周年記念公演の配役を御照会致します。

白虎隊隊士・石田和助。 三咲 春樹。

白虎隊隊士・篠田義三郎。三咲 夏樹。

白虎隊隊士・西川勝郎。 飛龍  貴。

白虎隊隊士・石山虎之助。三咲さつき。

白虎隊隊士・飯沼 貞吉・三咲亜梨紗。

白虎隊隊士・林 八十治・三咲 大樹。

和助の父・ 石田 龍玄・三咲てつや。

二役。 ・後の飯沼貞吉・三咲てつや。

和助の母・ 石田  菊・峰  純子。

白虎隊・二番隊長・日向内記・三咲きよ美。

  白虎隊誕生から、会津若松城炎上へ…、そして、切腹まで、感動の物語。

芝居巡礼、最高の作品となりました…。

【★てつや、思い出の一筆…。】

船村徹先生からの、突然の電話。。

 演歌の世界で、初めて『文化勲章』に輝いた、船村徹先生から平成十五年の夏、突然の電話を頂きました。電話の声はこうだ。

「三咲さんですか、私の故郷『船生』に劇場を作られたそうで有難うございます。人口も少なく娯楽の少ない船生です。これからも、町民の為、大衆文化の為に頑張って下さい。近く、一緒に食事をしましょう。会場は私がセットします…」。とのお言葉でした…。(つづく)

【★てつやの五行ポエム…。】

船村徹といえば、『別れの一本杉』…、

『なみだ船』『風雪流れ旅』『ひばりの佐渡情話』

『哀愁波止場』『みだれ髪』『矢切の渡し』など

数々のヒット曲を輩出した、作曲界の大御所です。

レジェンドからの電話に、感動の私でした…。

【★てつや、石井友喜を語る…。】

作詞作曲・三咲てつや。

      唄・宮崎三太。 石井 友喜。

『泣き濡れて北浦』

一、あれは二月の     半ば過ぎ…・、

  旅の鳥だと      淋しさを…

  頬に浮かべて     苦笑い…、

あなたは あなたは  何時帰る…、

  日暮れ悲しい     涙橋…、

  あぁ、あぁ北浦    雨になる…。

二、葉書一枚       着きました…、

  あなた自慢の     演歌節…、

  思い出したら     泣けてきた…、

  あなたは あなたは  何時帰る…、

  一人淋しい      涙町…、

  あぁ あぁ北浦    風になる…。

三、橋の袂に       ひとり立ち…、

  あなた偲んで     泣き濡れて

  あなたは あなたは  何時帰る。

  落ち葉舞い散る    涙坂…、

  あぁ あぁ北浦    雪になる…。

『解説』 この曲は、旅役者時代の私が茨城県北浦町の『北浦荘』に巡業中に書いた詩です。当時は宮崎三太が唄い。

レコード化に際し、北浦のお母さんと劇団の皆んなが慕う『河野こう』さん が お金を出してくれました。

【★追悼、船村徹先生…。】

 船村徹先生がセットして下さったのは『東日本ホテル』三階の一室でした。

船生かぶき村からは、三咲夏樹、三咲春樹と、私、三咲てつやとふぶき梨花、三咲葵の五人。

船村徹先生側は、先生、仲介者の下野新聞社の山根輝夫氏、宇都宮舞さん。先生の内弟子、

天草次郎さん、走裕介さん。名刺交換の後、自己紹介と進み、豪華な御馳走を頂きました。

 最後に、一度は、『船生かぶき村』へ観劇に行きますよと、嬉しい、お言葉を 頂きました…。今は亡き船村徹先生に合唱…

船生かぶき村 かわら版 令和5年3月7日

【★かぶき村に話題有り…。】

『栃木八十八所・芝居巡礼・③』

 第一回・栃木八十八ケ所芝居巡礼『ふぶき梨花』から、第五回・芝居巡礼の『夏樹春樹・明治座・凱旋公演』まで、紹介しましたが、第六回・芝居巡礼は、再び『矢板市文化会館』で、『ふぶき梨花・芸能生活十五周年記念公演』を開催

夏樹・春樹と、それぞれ交互に、芝居巡礼公演を開催して、平成十六年十二月十七日には、

『船生かぶき村』・創立十周年記念公演として、矢板市文化会館において、『少年白虎隊』を

開催致したものです…。

【★てつや、思い出の一筆…。】

『ポール牧師匠編・②』

 ポール牧師匠と、次に会ったのは、平成十年六月十五日でした。静岡県袋井市にある曹洞宗の、

可睡斎』に於ける。六十年に一度の御開帳の日の事である。そのアトラクションの為に、劇団暁の『舞踊ショー』を、組んで下さったのである。

その舞踊ショーが終わってからの開口一番。

ポール師匠の、声が弾んでいた。

「いやぁ良かった三咲さん。『劇団暁』の良さは、『安田生命ホール』で実証済みだが、

六十年に一度の大例祭にふさわしい、圧巻の舞台だったよ…」と、べた 褒めでした。

例の『指パッチン』の嵐で、きよ美・夏樹・春樹を初め、弟子達も大喜びでした…。

【★てつやの五行ポエム…。】

平成十年、可睡斎での舞踊ショーで…、

面白い話がある、ポール師匠が、きよ美に言った…、

「上手いッ、父上にそっくりだ…」父上とは俺の事?

何処が似ていると、私は思ったが、-ポール師匠は…、

どうやら、踊り方が似ていると思ったらしい…。

【★てつや、石井友喜を語る…。】

三咲てつや、作詞作曲。『怒涛舟』

唄。石井友喜。

一、男一代      木の葉の舟に

  命あずけた    この身体

  網を引く手に   血がにじむ

  エンヤラ大波   

  ドッコイ小波が  ザンブリコ

  エンヤラセー   ドッコイセー

  波の花咲く    怒涛舟

二、あがる飛沫に   鰊が跳ねる

  どぶを あおって  祝い酒

  可愛いあの娘を  夢に見る

  エンヤラ大波

  ドッコイ小波が  ザンブリコ

  エンヤラセー   ドッコイセー

波を枕に     怒涛舟

三、板子一枚     暴れる舟は

  寄せて二上がり  三下がり

  潮にもまれた   渋い喉

  エンヤラ大波   

ドッコイ小波が  ザンブリコ

  エンヤラセー   ドッコイセー

  波に唄おうか   怒涛舟

『怒涛舟』誕生秘話。

秋田県、男鹿半島で育った石井友喜は幼い頃から、海辺の漁業船を見ていたそうです。

石井先生は、あの『野口英世博士』ではないが、お母さんの油断から、火傷(やけど)をして、

右手を使う、仕事が出来なくなり、唄で暮らしていけるように、民謡と三味線を習ったのだそうです。だから、石井先生は唄っている時。左手でマイクを持っているのです。

成程。石井先生と、お母様の努力のほどが解ります。私も、何時の日か漁師の歌を作ってみたいと思っていましたので、それが実現して本当に光栄です。又、三番の歌詞に寄せて二上がり三下がりという言葉があるのは、民謡と三味線で鍛えた、石井友喜の民謡を十分に、発揮させたものです…。誕生秘話を知って聞くと、一段と唄の良さが解りますよ…。

船生かぶき村 かわら版 令和5年3月6日

【★かぶき村に話題有り】

『栃木八十八ケ所。芝居巡礼・②』

 記念すべき第一回無芝居巡礼は、ふぶき梨花で『里帰り公演として矢板市民文化会館』でしたが、

第二回芝居巡礼は、日光市総会館での『羽ばたけ花形兄弟』で『三咲夏樹の弁天小僧』でした。

続いて第三回芝居巡礼は、『鹿民文化センター』で、三咲きよ美の『一本刀土俵入り』です。

そして第四回芝居巡礼は、さつき、めぐみ、和美の『撫子三姉妹』により、芝居は『二人の父・伊織と早苗』で、会場は『西那須野町民ホール』でした。

そして、第五回芝居巡礼は、『羽ばたけ花形兄弟、明治座凱旋公演』のタイトルで、会場は

『今市市文化会館』。三咲春樹主演で『森の石松・焔魔堂、、最後、馬鹿は死ななきゃ治らない』でした。

 まだまだ続く『芝居巡礼』ですが、ここで一休みして第六回『芝居巡礼』は、明日の『かわら版』で…。

【★てつやの思い出の一筆…。】

『ポール牧師匠編・①』

 談志師匠は、実に多くの人を、私に紹介してくれました。それは、清川虹子先生然り、浅香光代先生然り、ガッツ石松然り。マヒナスターズの松平直樹さん、ミッキーカーチスさん、山城新伍さん、中尾彬さん、大映映画の往年のスター「小林勝彦」さん、

立川志の輔師匠、桂文珍師匠、当時、勘九郎と言っていた中村勘三郎さん、数えていたら枚挙にいとまがないが、ポール牧師匠編も、その中の一人であった。

 ポール牧師匠編を語る時、一番先に言えるのは、兎に角、愉快で楽しい人でした。その出会いは、

渋谷にある、NHK放送センターのロビーであった。

『立川企画』の社長と打ち合わせの為にお会いした時、一台の車が止まった。その車は『ロールスロイス』。

降りて来たのが、指パッチンでお馴染みの、『ポール牧師匠であった。ポール師匠も、松岡社長と待ち合わせていたのである…。(つづく)

【★てつや、石井友喜を語る…。】

三咲てつや・作詞作曲。 唄、石井友喜。

一、恋も知らない    十四の春の…、

尾張名古屋の    芝居小屋…、

  熱く伝わる     師匠の芝居…、

  娘心に       憧れて…、

門を叩いて     旅役者…。

二、泣いて見送る    母の名呼べば…、

  影が小さく     消えてゆく…、

握る扇を      要で返す…、

喜八が似合いの   娘でも

  意地で迎える    初舞台…、

三、岩手三陸      宮古の町の

  北の舞台は     雪化粧

  稽古厳しい     楽屋の隅に

  励ます母の     声がする

  いつか見せたい   舞姿

【解説】  この曲は、三咲さつきの妹であり、私の弟子「三咲和美」が『豊橋ラドンセンター』

    から、次の巡業地、岩手県宮古市の『ホテル近江屋』へ旅立つ時の、母との別れの情景を

    描いた作品である。

    私にとっても、思い出深い作品ですが『石井友喜』も、度々愛唱した曲でした…。

    当時、中学二年生で十四歳だった和美ちゃん。旅役者になるだけでも勇気のいる事ですが、

    ましてや、遠い岩手県に旅起つのは辛い、母娘の悲しみ溢れる別れだったと

    思います。私の作詞作曲作品は、旅役者の喜びや悲しみが主流になっています。

    それは、この『かわら版』も同様です。

    作詞作曲も、『かわら版』も私の生き様、そのものです…。

    あぁ我が人生、あと何年、ワッショイ…。

【★てつや、五行ポエム…。】

指パッチン…、

愛嬌あふれる、ポー匠の仕草は…、

どれだけ多くの。人を和ませたか…、

私にも、多くの幸せを浴びせて下さった…、

今は亡きポール師匠。その死を悼む…。

船生かぶき村 かわら版 令和5年3月5日

【★かぶき村に話題有り…。】

 『企画・八十八ケ所、芝居巡礼について…。』

 平成、六年十一月十一日にオープンした。船生かぶき村は、昨年の十一月十一日で、創立以来、

丸二十八年を迎えました。人口一万人を、僅かに超える町と呼ぶのも恥ずかしい『塩谷町』です。

しかも、首都圏からのアクセスが悪い、この悪条件の中で、二十八年以上も続けて来られたのは、並大抵の事ではありませんでした。

あれやこれやのアイデアを駆使して、顧客動員を図ってきました。その一つがこの『栃木八十八ケ所・芝居巡礼』でした。

記念すべき、第一回巡礼の座長は「ふぶき梨花」で、彼女の出身地矢板の『矢板市文化会館』でした。

ふぶき梨花『里帰り公演』と銘打った企画が当たり大入り満員の盛況でした。ふぶき梨花は、今は亡き

父の『関谷克己』に向かって、「父ちゃん、リツ子元気に頑張っているよ…」と、天に向かって声を上げていました…、

ふぶき梨花。若かりし頃の一ページです…。

【★楽屋つれづれ草…。】

 日毎に春めく今日此の頃。それでも今はまだ二月。

三寒四温の日々は続く。ホンとの春はまだ遠く、九州育ちの私には、チョッと厳しい季節です。

それでも『船生かぶき村』は、舞台も客席も暖かい。

劇団さんの舞台は熱く、負けるものかと私の、長編歌謡浪曲の唄声も熱い。

拍手喝采の、客席はもっと熱い。

寒い時こそ、桟敷は皆んなの楽天地だ…。

【★五行ポエム…。】

駆け落ち同様に、故郷を離れたふぶき梨花…

必ず故郷に錦を飾ると言う。三咲てつや…、

夫婦が築いた『船生かぶき村』…、

夢を叶えた、てつやと梨花…、

天国の父は何思う…。

【★てつや、石井友喜を語る…。】

『劇団暁、東日本大震災の被災地・石巻市慰問』

 東日本大震災の一年後、私達は三年ほどお世話になった「かんぽの宿、石巻」を慰問した。

一年後には石巻高校の体育館へ、私達は明るい芝居が良いと思い、『芸者の意気地』を選んで、笑いの渦に包み込んだ。二年後には石巻のアウトレットで『石井友喜歌謡ショー』を開催。それを聞いた

『佐藤企画』の社長が言った。

これは上手い、背筋から寒気がしたと驚いた様子でした。宮城と言えば民謡の宝庫と言われるほど

民謡が盛んな所です。という事は、石井友喜の唄声が素晴らしたったという事になります…。

『立川談志師匠編・⑥』

 平成二十二年の十二月、例の、浅草公会堂の座長大会の時でした。談志師匠が、そして、ひょっこり楽屋見舞いに来て下さいました。『三咲さん。来週の『週刊現代』に、三咲さんの事を書いたから

読んでくれ」と言うのである。

「俺は、歌舞伎役者が嫌いだ。国の支援で立派な劇場かも知らんが、世襲でやっている。俺が贔屓に

している三咲てつやさんは、素人から大衆演劇に入門して、小さいながらも自費で芝居茶屋を建てた

その生き様こそ俺は好きだ…」と、書いてありました。

楽屋見舞いを置いて、芝居も見ずに裏口から淋しそうに帰って行かれました…。

『立川談志師匠編・⑦』

 平成二十七年十二月十日。

 この年の十二月。劇団暁は『浅草木馬館』公演です。

木馬館の下手にある音調室の、更に下手に鰻の寝床のような処に、私の楽屋がある。

その時も、例の『浅草木馬館・かわら版』を書いていて、うとうとと眠りに入っていた。

その時、五年前に亡くなった『談志師匠』が客席で劇団暁の舞台を観ている夢を見ました。

夢って良いですね。

死んだはずの『談志師匠』と会えるのですから、そう言えば、平成元年に亡くなった父ちゃんの夢も

見ます。その昔、『夢で逢いましょう』という番組がありましたネ。本当に、夢って素晴らしいです。

夢よ、有難う、有難う、有難う…。

船生かぶき村 かわら版 令和5年3月4日

【★かぶき村に話題有り…。】

『ウクライナ難民の皆様を船生かぶき村に迎えて…』

 船生かぶき村では、令和四年十二月三日(土曜日)。ウクライナ難民の皆様を御招待して、第一部・芝居と第二部・舞踊ショーを見て頂きました。

その後、アトラクションとして、三咲さつきが母親で、娘役の三咲和美が『東京だよ おっ母さん』を踊り、今度は娘役を、ウクライナの方に演じて貰う事に致しました。

驚いた事に、ウクライナの人たち十人以上が舞台に上がったのです。

おっ母さん一人に娘が大勢という珍現象はウクライナの皆様が楽しんだのだと思います。

用意したプログラムが終了。私が「これで終演です。さようなら…」と言っても、皆さんは、帰りたくない様子で、「まだ、居たい…」と言っていました。

それだけ、楽しかったのだと思います。

難民の皆様を御慰め出来て、私達も嬉しい…。

【★楽屋 つれづれ草…。

 今、三月四日、午前零時四十五分。

現在、三月四日の『船生かぶき村・かわら版』の執筆中です。昨日はなんだかんだと忙しく、

本日、この『かわら版』お配りするために パソコンに向かって追い込んでいます。

一日も欠かさず『かわら版』をお届けするとの約束は絶対守ります。

どんなに疲れても、どんなに眠くても、約束は約束です。『かわら版』を書く事は私の使命

約束を守ることも私の使命です…。

【★てつやの五行ポエム…。】

フレンドリー、バスツアーの名の下に…、

ウクライナの皆さんをお迎えして、

二代目座長母娘、さつき、めぐみ、和美、

女将、私の接待は続く、ウクライナの皆さん

の、喜ぶ姿に安堵する…。

【★三咲てつや、石井友喜を語る…。】

私の作詞作曲作品、『初舞台』の思い出。

この曲は、ふぶき梨花が役者になって 私と一緒に北海道に行きたいと告白した時の

情景を描いた作品です。この曲の、二番の歌詞に「母は涙で頬濡らす…、あえて無言の父の顔…、」と、

ありますが、此の時の、ふぶき花は余程の覚悟で切り出したものと思います。その情景を、見事に表現したのが、『石井友喜』でした。私の作詞作曲作品の中で、『怒涛舟』と『初舞台』の二曲は

最高傑作と言えるものです…。

【★思い出の一筆…。】

『立川談志師匠編・④に 船生かぶき村に御預りした、弟子の中で現在まで付き合っている人がいます。

当時の、志櫻さん。現在は『志遊』の名前で真打として活躍している。面白い話があります。

彼が、前座から、二つ目に昇進した時の話です。

今でも、忘れられない話です。

『談志師匠』が言った言葉ですぞ…。志遊が本日、二つ目に昇進出来たのは、ここにいる

三咲てつやさんのお陰です。さしたる指導も出来なかった私を、そこまで評価して下さったのかと、信じられない思いです。

有難う『志遊』師匠。有難う『談志師匠』…。

『立川談志師匠編・⑤』

 談志師匠といえば、えてして破天荒で、自由奔放に生きているように言われていますが、

ところがドッコイ、実は、とても繊細で、心配りの優しい方と見ています。

例えていうと、こうである。談志師匠に誘われて訪ねた時の事です。丁度、テレビの撮影中で、

私は遠慮して、遠くで見ていると、それを目ざとく見つけた談志師匠が、「何も遠慮することはないよ。三咲さんは、友達 なんだから…」と笑いながら手招きをして下さいました。当時私は、武田信玄に憧れて、頭は坊主頭、もみあげから顎にかけて髭を伸ばしていました。それでも私だと分かった談志師匠。

本当に有難い思い出です…。

船生かぶき村 かわら版 令和5年3月3日

【★かぶき村に話題あり…。】

 本日は、この『かわら版』について語ろう。

『かわら版』といえば、現在の新聞の事である。

朝日新聞・毎日新聞・読売新聞・下野新聞でも、新聞は、先日の出来事をニュースとして取り上げて

いるものです。という事で、今日の『かわら版』は昨日の話題がメインです。ここで又、困った事があります。皆様には、こんな事はりませんか。歳を取ると昨日、食べたものが思い出せない事があり、

困っています。でも心配ありません。例え、咄嗟に思い出せなくても、じっくり考えれば思い出せます。この『かわら版』はパソコンで書いていますから、打ち込んだ文字をユックリ見ていますので文字の変換は容易に出来ます。御安心下さいませ …。

 元来、私はジックリ考えるのが好きです

例えば、作詞をする時、この言葉を、この様に入れ替えればもっと良くなるとか、

作曲するにも、この『おたまじゃくし』をこの様に入れ替えれば、パンチが効くとか

情感が深まるとか、考えるのも楽しみです…。

【★楽屋つれづれ草…。】

 鎌倉時代の『徒然草』は、思い付くままに呟いてみるという事です。

呟くと言えば、今のツイッターの事ですがこれをSNSで叩かれ、時には炎上します。

単なる老優の楽しみを奪いかねないのです。

ご用心、ご用心…。

【★五行ポエム…。】

妃咲ひなた良い…、

山脇広大、良い…、

小山晶士、良い…、

藤美匠、また良い…、

いやいや、皆んな良い…。

【★塩谷町散歩…。】

『ファミリーマート』、

『ファミリーマート・船生店』は、何と船生かぶき村から徒歩で三分の、

国道461号のバイパスを挟んだ道路の向かい側にあります。

 女将のふぶき梨花はファミリーマートの「ファミチキとレモン牛乳」、が好きです。

私は、「肉饅と、おにぎり」が大好きで、時々買いに出かけます。

実をいうと、昨日もファミリーマートに行き、『ファミチキ、レモン牛乳』

『肉饅・おにぎり』をバッチリ、買って来ました…。

【★三咲てつや、石井友喜を語る…。】 

 昭和五九年度、『民謡日本一、内閣総理大臣賞』に輝いた『石井友喜』を紹介致します。

石井先生との出逢いは、三位以内に入賞した人には、

私が作詞作曲をしてあげるとして、『カラオケ大会』を開催した時に遡る。結局、先生は三位に入りませんでしたが、これには訳がありました。石井先生が過去に民謡日本一だったという事で、審査の対象外であったらしいのです。私は、そうだったのかと説得し石井先生に『怒涛舟』。岡本賢には、『恋を振り分け新太郎』。鈴木京香に『娘旅笠恋草鞋』を作曲致しました。

その後、私は石井先生に、『泣き濡れて北浦』『役者道』『むすめ旅役者』『海華亭小唄』『初舞台』

『さぁさ皆んなで踊りゃぁヨ』『暁人のわんぱく座長』など、色々の曲を提供致しました…。

【★思い出の一筆…。】

『立川談志師匠編・③』

 あれは、平成七年七月だった。

「三咲さん、私の弟子どもを、船生かぶき村で修業させてくれと…」と仰って、笑志・志雲・キュウイ・志遊・ワコール・国士館・談笑・談々の八人を預かりました。

後に、其の八人全員。真打に昇進したものです。今は、懐かしくも嬉しい思い出です…。

談志師匠、有難うございました…。

船生かぶき村 かわら版 令和5年3月2日

【★かぶき村に話題有り…。】

 今、船生かぶき村に於いて、直近の話題と言えば、この、三月公演中の劇団の話題であろう。

二月公演の『劇団駒三郎』の様に、纏まった一つの劇団と違って、下町かぶき組の流れを汲む、山脇広大さんや、小山晶士さん。妃咲劇団の妃咲ひなた、妃咲ほたる。

藤美匠、秋川美保の二つの劇団による混成劇団である。

元来、役者は育った劇団によって芸風が全く違い、間が合わない、息が合わないものですが、初日の芝居を見せてもらったが、互いに息のあった芝居でした。

昨夜、読み稽古・立稽古と頑張っていた成果が出たのでしょう。

何事も、『為せば成る…』ものですネ…。

【★楽屋つれづれ草…。】

 昭和は遠くなりにけり、昭和十八年生まれの私も今年の十二月九日で、満八十歳になります。

明治三十三年生まれの父ちゃんは、平成元年一月八日に他界した。

覚えていますか、

その一日前までは昭和だったのですよ。

つまり昭和天皇が御隠れになったのが、父ちゃんが死んだ一日前だったのです。

父ちゃんが死んだ平成元年八月。私は福岡へ里帰り公演を果たしました。

夏樹・春樹兄弟と出逢い二人は私の弟子となりました。

夏樹が九歳で小学三年。春樹が六歳で小学一年の 時でした。二人は、関東でも指折りの人気役者に

育ってくれました。思い出すだけでも涙ぐむ歳月(としつき)でした…。クスン…。

【★五行ポエム…。】

三月公演、初日の幕が開く…、

舞踊ショーのラスト前…、

私は、長編歌謡浪曲、赤垣源蔵を唄う…、 

何時もより声が出て、気分良好…、

我一人悦に入り、殊更、満足…

【★塩谷町散歩…。】

 『道の駅、湧水の郷。しおや』

 船生かぶき村から西へ、二キロの地点に

「湧水の郷・しおや」と言う名称の『道の駅』があります。中には、三十を超える店舗があり、

塩谷町内の飲食業、その他の有志によるテナントが多い。敷地内には多目的ホールがあって

民謡会・琴、大正琴の演奏会も行われている。 

とくに、「別れの一本杉」「なみだ船」「矢切りの渡し」『みだれ髪』『ひばりの佐渡情話』『哀愁波止場』など数々のヒット曲を作曲し、文化勲章を頂いた『船村徹先生』や、『忘れな草をあなたに、鳥取砂丘』『汽笛』等の作詞者『木下龍太郎先生』がいて、また、五木ひろしが唄った『汽笛』と

北島三郎が唄った『風雪流れ旅』は、二年連続で紅白歌合戦の大トリだった事があります。

正に、演歌の町船生と言っても過言ではない。

正真正銘の話ですよ…。

【★カラオケ会 を訪ねて…。】

 このコーナーは次号で書かせて頂きます。

【★思い出の一筆…】

『立川談志師匠編。その②』

 師匠との出逢いは前号で書いた通りですが、次に御逢いしたのが、明治安田生命になっていて

当時は『安田生命』だった頃。劇団暁、最後の巡業地『袋井ラドンセンター』公演を終え、

談志師匠と約束した。『安田生命ホール』で落語と大衆演劇のコラボ公演を果たした時でした。

その時のメンバーは、談志師匠・ポール牧師匠毒蝮三太夫師匠、沢竜二先生で、

劇団暁では、三咲てつや、ふぶき梨花、三咲春樹、三咲さつき、湊めぐみ、三咲和美の六人は

化粧して参加。三咲きよ美と三咲夏樹は素顔で参加。面白い裏話があります。

化粧している六人が役者で化粧をしていない、きよ美座長と夏樹座長は

付き人と思っていたらしく、何となく、夏樹ちゃんと、きよ美ちゃんは寂しそうでした…。